一方、有望選手発掘プロジェクトであるJ-STARプロジェクトで、陸上のオフシーズンだけボートの指導を受けていた咲新さん。中学3年生からは、本格的に夏の全国大会を目指して陸上の練習一本に打ち込んでいました。しかし、ケガで調子を崩し、県大会で大敗したのがきっかけで、ボートへの転向を決意します。

 「頭打ちというか、本人の中で、陸上では日本代表レベルになるにはちょっと難しいと感じていたのだと思います。ボートは、本人の強みである脚力を存分に生かせるので、向いているとコーチ等から評価されていました」(幸治さん)

2018年8月 三都市対抗中学生陸上競技大会(福岡市・北九州市・下関市)に出場したときの様子
2018年8月 三都市対抗中学生陸上競技大会(福岡市・北九州市・下関市)に出場したときの様子

 以来、咲新さんが、陸上への未練を口にすることはなかったといいます。

 「私は聞き役に徹していました。内容によっては『いやいや』と思うこともありましたけど(笑)、大きな決断をするには、はけ口も必要なはず。そういう役割は、母親である私なのかなと思っていました。娘は、幼少期からオリンピックに強く引かれていて、小学校2年生の自由研究のテーマはオリンピック。楽しそうに参加国の国旗を調べていましたね。常に目線は世界を見据えていて、どの競技であれば通用するかを考えたのだと思います」(さおりさん)

 スポーツに限らず、親は子どもに「一つのことに打ち込むこと」を望みがちです。しかし、さまざまなスポーツを経験することには、本当に向いているスポーツを見極められるというメリットも。咲新さんの場合、どんな習い事を続けていくかを幼いうちから自分自身で決断してきたことで、競技の転向にも迷いはありませんでした。昔から一貫していたのは、オリンピックに出たい、という目標。陸上での挫折経験があったことで、その思いはよりクリアになったといえるのかもしれません。

本人に決めさせるために、あえて伝えなかった事実とは?

 当時を振り返り、幸治さんはこう語ります。

 「正直なところ、僕は、陸上を続けるのがいいんじゃないかと思っていました。高校でも陸上を続ければそれなりのところに行けるんじゃないかと思っていたし、指導者の先生からもそういう話を聞いていました。でも本人の希望に任せました。ここは僕の中で一番我慢したところですね」