料理家の栗原友(クリトモ)さんはこの春小学生になった女の子の母で、水産部門を持つ自身の会社の社長でもあります。今回はクリトモさんのこれまでとこれからのキャリアがテーマ。これまで料理家としてこうあらねばというイメージにしばられていたというクリトモさんですが、「今後は自分が本当にしたいことをして生きていこう」と思っているそうです。どのような心境の変化があったのでしょうか。

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母から料理の英才教育を受け、留学後に料理家の道へ

 皆様、こんにちは。料理家の栗原友ことクリトモです。今回は私のキャリアのこれまでとこれからについてお話ししたいと思います。

 

 私のことを料理家、そして栗原はるみの娘として認識してくれている方が多いと思います。でも、実は私はファッションの世界でキャリアをスタートしています。ファッションが大好きだったことから、エディターやアパレルのPRの仕事に携わり、その後留学した英国で食に興味を持ちました。料理の世界に飛び込んだのは、帰国後のことです。

 料理は小さい頃から母に教えられてやっていました。今思うと英才教育。母が上手に興味を持たせてくれたのでしょう、嫌いにならず楽しくやっていた記憶があります。家族のために食事を作ることもありましたが、3歳下の弟も料理をするようになると、ほぼ弟にやってもらうようになりました。弟の方が私よりもっと料理が好きだったので、やりたい人がやればいいと思ったんです(笑)。

魚料理へのコンプレックスなくすため、水産会社で働くことに

 留学から帰国した後は、料理家としてアセアン諸国の料理を日本に紹介する「アセアンフードアンバサダー」に任命されたり、飲食店のプロデュースをしたり、雑誌の料理記事のためにレシピを考えたり。料理家としていろいろな経験を積んでいきました。

 転機となったのが、築地市場にある水産会社に飛び込んだことです。実は私、料理家でありながら、魚をさばくことができませんでした。そのコンプレックスをなくし、魚料理を私の強みにしたいという気持ちからの挑戦でした。

  料理の世界では私は「栗原はるみの娘」です。その肩書ゆえ、仕事面で有利なこともありました。しかし、水産会社にはそのような素性も知らせずに応募しました。魚のことは技術も知識も何もない私でしたが、人手不足だったのでとにかく誰か、ということで雇ってもらえたのでしょう。働き始めてしばらくの間、社長は私の名前も覚えていなかったくらいです。料理の仕事をしていることは伝えていたので「料理研究家」と呼ばれていました。

栗原友さん。夫と経営する東京・築地のクリトモ商店にて
栗原友さん。夫と経営する東京・築地のクリトモ商店にて

次ページから読める内容

  • 私のことを知らない人ばかりの職場で自分の力を認めてもらえた
  • 「栗原はるみの娘」という肩書が自主規制をかけていた
  • 今、好きなように生きられるようになった理由
  • 働く親も自主規制をしているかも。好きなことはあきらめないで

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