地方移住をテーマに3月にスタートしたこの連載も、今月が最後となりました。最終回は、東京から長野や仙台に移住した共働き子育て中の3家族に取材。仕事や収入、生活や子どもの教育環境などがどのように変化したのか、詳しく聞きました。前編と後編に分けてお伝えします! 後編の今回は、横浜から長野・志賀高原に移住した井戸家と、横浜から仙台に移住した田中家(仮名)のファミリーストーリーを紹介します。

<連載「親子5人で東京→糸島 やってみた地方移住!」最終回>
【前編】地方で仕事のニーズは掘り起こせる 移住者の実例
【後編】地方移住 子どもの生きる力は不便だからこそ備わる ←今回はココ

横浜から志賀高原へ。スキーが思い切りできる環境に

プロフィール
井戸聞多さん(39歳)、志穂さん(37歳)、長女(小4)、長男(小1)
移住前は横浜市に住み夫婦ともに東京に出勤。聞多さんは大手機械メーカー、志穂さんは外資系金融機関やベンチャー企業に勤務していた。2019年に志穂さんの実家がある長野県の志賀高原へ移住。
移住のきっかけのひとつは「スキー」だった
移住のきっかけのひとつは「スキー」だった

 新卒で外資系金融機関に就職し、結婚・出産を経ても変わらずキャリアを積み上げていた井戸志穂さん。けれど30歳の頃からだんだんと、「自分のライフスタイルがしっくり来なくなった」と話します。

 「この先もずっと金融業界で働いていくイメージが持てませんでした。都会にいると情報量が多くスピードも速く、自分も限界まで働き疲れてしまう。子どもたちのためにも自分のためにも、何か変えることはできないか……。そのとき頭に浮かんだのが、実家のある長野県志賀高原への『Uターン移住』でした」

 志賀高原は長野オリンピックの会場になった日本有数のスキーリゾートです。志穂さんも小さい頃からスキーに打ち込み、高校時代は米国にスキー留学していたほど。そして長女も長男も、保育園の頃にスキーを始めました。大会で入賞するなど実力もつき、何よりも本人たちが夢中になっているのを見て、「スキーがもっと思い切りできる環境に置いてあげたいと考えるようになりました」。また、志穂さんの実家は志賀高原でホテルを営んでおり、年齢的に事業継承を考え出す時期が迫っていたことも、移住の後押しとなりました。

 一方、夫の聞多さんは東京生まれの東京育ち。けれど妻から「志賀高原へ移住したい」と言われたとき、反対する気は全くなかったそうです。

 「子どもが生まれてから、僕の人生の優先順位は家族が一番、仕事はそれより下です。妻の希望があり、子どもたちにとってもより良い環境になるのであれば、行かない理由はありませんでした

 そうして2019年4月、家族は長野県山ノ内町にある志賀高原へと住所を移しました。志穂さんは当時勤めていた東京のベンチャー企業を退職し、志賀高原で起業しました。現在は家業を手伝いながら、お土産品の開発や地域活性化のためのプロモーション・マーケティング・コンサルティング等を行っています。

 「本当は、実家のホテルを継ぐつもりだったんです。でも、改めて自分自身を振り返ったとき、『自分は一カ所にじっくりとどまるより、フットワーク軽く幅広く挑戦する方が性に合っている』と気付いて。結局、ホテルは弟が継ぐことになり、私は起業の道を選びました」(志穂さん)

 聞多さんは会社と交渉し、当時はまだ制度が整っていなかったフルリモート勤務を認めてもらい、東京の会社に籍を置いたまま移住。その後、関わっていたプロジェクトが一段落したタイミングで退職し、現在は東京にあるスタートアップ起業の支援やシェアオフィス運営、志賀高原のアウトドア関連企業の法人立ち上げなど、複数の仕事に携わっています。

 「7時半から仕事を開始し、子どもたちが帰宅する16時には終えられるようにしています。その後はずっと、スキーのトレーニングをしたりと子どもたちと過ごしています。移住前と比べて、子どもたちと過ごす時間は格段に増えました」(聞多さん)

井戸聞多さんと子どもたち。一緒に過ごす時間が格段に増えた
井戸聞多さんと子どもたち。一緒に過ごす時間が格段に増えた

次ページから読める内容

  • 読み書きや算数は公教育が教えてくれる。それ以上の教育は「親が担えばいい」
  • 1年間の横浜・仙台の2拠点生活を経て移住
  • 他国のチームから見れば東京も仙台も変わらない
  • リモートでは行えず、場所によって選択肢が限られる仕事もある

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