ひきこもりの子どもを持つ親たちは、どんな思いでいるのでしょうか。また子どもたちとどのように接しているのでしょうか。愛知県内に住む瀧本真紀子さん(67歳)は、18歳でひきこもった一人息子の裕喜さん(39歳)が7年後に部屋から出て、社会へと踏み出すまでの期間を共に過ごしました。瀧本さん親子に、当時の思いなどについて聞きました。

大学受験前日、祖母の暴言に心が折れた

 裕喜さんがひきこもったきっかけは、大学受験のために上京して身を寄せた母方(真紀子さん)の実家で、祖母から暴言や恨み言を言われ続けたことでした。

 裕喜さんの祖父、つまり真紀子さんの父親は酒乱で、家族に毎日のように暴力を振るいました、祖母は当時、黙って耐えていましたが時折爆発し、狂ったように叫ぶことがありました。祖父が死去した後、それまでため込んでいた怒りを、孫の裕喜さんに向けるようになります。

 真紀子さんは言います。

 「母は、昔から非常に強い被害者意識を周りの人にぶつけ、相手を巻き込んできました。私も『あなたのために離婚しない』と言われて、長く罪悪感に苦しんだものです。裕喜が同居し始めると、被害者意識のパワーをすべて彼にぶつけるかのようでした」

 センター試験前日、祖母は突然ヒステリックにわめき始めました。「あんたは若いからいいが、私は生きていてもしょうがない」「あんたに殺されるかと思った。一緒に暮らすのが怖い」

 「ネガティブな言葉に支配されて完全に心が折れ、祖母を殺してしまうのではないかと恐ろしくなりました」(裕喜さん)

 裕喜さんは子ども時代から、いじめられても相手を責めず「自分さえ我慢すればいい」と考える性格の持ち主です。祖母の言葉に激しく動揺し、受験に失敗。逃げるように帰郷し、真紀子さんが気づいたときには、部屋に閉じこもるようになっていました

「生まれてこなければよかった」という思いに

 真紀子さんは戸惑い「育て方が悪かったのか」と自分を責めました。「裕喜が自殺してしまうのでは」と恐れ、通り魔事件などを耳にすると「ひょっとしてうちの子が?」とひやりとしました。「いつまで続くのか分からなかったことが一番不安でした。『私たちが老いて、収入がなくなったらどうしよう』など、悩みは尽きませんでした」。当時は会社に勤めていましたが「仕事中も飲み会でも、心の底から笑うことはなかった」と振り返ります。