看護師の知人に相談すると、投薬を勧められました。ひきこもりの子どもを家から連れ出してくれる業者がいることも、テレビで知りました。しかし真紀子さんは、薬や業者を頼ることに踏み切れず「解決策はいくつもあるのに、選べない私が悪い」と、さらに自分を責めたといいます。ただ後年、「引き出し屋」と呼ばれる暴力的な業者が報道され、当時の判断は間違っていなかったと、胸をなでおろしました。

 裕喜さんは、両親の出勤後に部屋を出て、真紀子さんが用意した食事を取り、また部屋に逃げ戻る毎日。「どうすれば楽に死ねるかということばかり考えていた」といいます。

 学校生活でいじめられたり、教師と折り合いが悪かったりしたのも自分が悪いのか、祖母の言葉も軽く受け流すべきだったのでは……。人生のさまざまな局面について自問自答を繰り返すと、結局いつも「生まれてこなければよかった」という思いにたどり着きました。

 ある日、真紀子さんが偶然、垣間見た裕喜さんの顔は「鬼のように、憎しみに満ちて」いました。「あのままだったら家庭内で事件を起こしていたかも、と冗談交じりに母とも話すんです」と、裕喜さんも語りました。

「心を閉ざしているのは私」 気づいて楽に

 何年も悩んだ真紀子さんは、とあるメンタル系のセミナーに参加しました。そこで「子どもが病んでいるのではなく、私が心を閉ざしているのではないか」と気づきます。すると、つきものが落ちたように「ずっとひきこもりのままでもいいか」と思えるようになりました。

 裕喜さんは「家の空気が変わった」と感じ始めました。同時に彼の心境も変化していきました。ひきこもりの自分を認められるようになり、「生きていてもいいんじゃないか」と思えるようになったのです。

 大きなきっかけは、ある夜見た夢でした。「理想の自分」が現れ「ひきこもりの自分」に語りかけました。「衝動的な殺意に身を任せず、誰も傷つけないようにひきこもっているんだね」。裕喜さんがひきこもったのは、祖母を殺してしまうのではという恐怖からでした。部屋から連れ出そうとした父親にひどく殴られたときも、「このままでは殺されるかもしれない。父を殺人者にしてはいけない」という危機感から、必死で抵抗しました。裕喜さんは常に、攻撃してくる身内を守ろうとしていたのです。その気づきが、裕喜さんの新しい出発点となりました。

 ある日、仕事を終えて帰宅した真紀子さんは、家からピアノの音が聞こえるのに気づきました。「あれ?」と思って家に入ると、裕喜さんが裸でピアノを弾いています。そんな日が2日続きました。

 声をかけたい、でも「やっと出てきたの?」はまずい。何て言おう……。真紀子さんの脳が高速回転し、口から出てきたのは「どうして裸なの?」