ひきこもりの子どもを持つ親たちは、どんな思いでいるのでしょうか。また子どもたちとどのように接しているのでしょうか。親の立場から「ひきこもり」を考える連載です。

岩手県北上市に住む後藤誠子さん(52歳)の次男(25歳)は、約10年前から断続的に、不登校とひきこもりを経験しました。一時は親子ともに、死が頭をよぎるほどの苦しみを味わいましたが現在、後藤さんは息子に「あなたのおかげで、お母さんはこんなに楽しいよ」と繰り返し伝えているといいます。こうした境地に至るまでの経緯を、後藤さんに聞きました。

高1の夏に突然部活を早退

 次男は子どもの頃、かんしゃく持ちでしばしば周囲とぶつかりました。しかし成長するにつれて、意思や感情をあまり表に出さなくなったといいます。「怒りを制御できるようになったと思っていたのですが、必要以上に感情を抑えつけていたのかもしれません」と、後藤さんは振り返ります。

 彼は高1の夏に突然部活を早退し、その翌日から学校に行けなくなりました。「部活の顧問が嫌いだ」とこぼすことはありましたが、それ以外に思い当たるきっかけはなく「少しずつつらさが重なり、限界が来たのでは」と、後藤さんは推測します。

 本人は後に「高校デビューに失敗した」と話しました。後藤さんは、自分よりも体の大きな息子を毎朝、引きずるように学校へ連れて行きました。「私の感覚も正常とは言えず、パジャマ姿で登校させようとしたこともあります」。本人は抵抗する気力もないのか、ロボットのようにされるままになっていました。

 後に心療内科の医師に「ひきこもり当事者の親で、こんなに明るい人は見たことがない」と言われるほど明るい性格の後藤さんですが、当時は「人生は終わった。この子を殺して自分も死のう」と、包丁を持って次男の枕元に立ったことすらありました。

 次男は学校に行けない間、部屋でゲームをしたり、動画を見たり。そんな弟を見て、優等生だった長男はいら立ちをあらわにしました。「学校くらい行け」「恥ずかしい」と、馬乗りになって暴力を振るい「俺があいつを殺してやろうか」と後藤さんに言ったこともあります。

 「弟が憎いのではなく、彼のことで私が泣いてばかりいるのに怒っていたのでしょう」。後年、後藤さんが笑顔を取り戻すと兄も少しずつ変わり、再び仲の良い兄弟に戻りました。

穴あき靴で原宿駅に来た息子 「死ねなくてごめん」と涙

 次男は何とか高校を卒業すると、自ら望んで上京し、ギター制作の専門学校へ通い始めました。不登校の間もギターは練習しており、路上ライブや文化祭のステージに立ったこともあったのです。

 その年の秋、専門学校の文化祭で楽しそうにたこ焼きを焼く彼の姿を見て、後藤さんは「レールに戻ってくれた。もう大丈夫」と、胸をなでおろしました。しかし、しばらくすると、突然「学校に行っていない」と本人から連絡が入りました。後藤さんの頭にとっさに浮かんだのは「恥ずかしながら、お金のことでした」。

 後藤さんは十数年前に離婚し、女手一つで兄弟を育てました。苦しい家計をやりくりし、多額の学費と生活費を工面していたのです