EXILEのパフォーマーとして活躍しながら、ダンスにまつわる研究・教育に力を注ぎ、コーヒー店のプロデュースも行うEXILE TETSUYAさん。従来の枠に捉われない活躍の背景には、パフォーマー、研究・教育、コーヒーの3つを人生の軸とする「三つ編みライフ」という考え方があると話します。この連載では、主に教育者やビジネスパーソンとしての視点から、自由に思いを語っていただきます。

2回目は、そんなTETSUYAさんの子ども時代について。子どもにとっての「型からはみ出ること」の大切さについても聞きました。

水が嫌いで泣いていた僕が、水泳選手を目指した

 皆さんは「変わりたい」と思ったことはありますか? 僕は10代の頃から、何度もそう思ったことがあります。今振り返るとそれが人生の重要なターニングポイントだったと思います。

 僕は中学3年生まで10年間、水泳を続けていました。水泳を始める前は、水に顔をつけるのが怖くて泳げなかったんです。母が趣味でスイミングスクールに通っていたので「通いなさい」と言われて、水嫌いを克服するために始めました。

 最初は水が怖かったんですが、徐々に泳げるようになり、クロールができた、バタフライができてる!と、泳げるようになっていくのを楽しむようになりました。そこから選手コースへ入り、ほぼ365日、毎日何時間も練習していました。中学3年生のときには県大会にも出場しました。現在のダンサーとしての基本的な持久力や、体の可動域の広さはその頃の練習で培われたものだと思います。

 僕が12歳のときに、バルセロナオリンピックで当時14歳の岩崎恭子さんが金メダルを獲得されました。あのとき、日本中が驚きましたよね。同世代で水泳をしていた僕も相当な衝撃を受けました。その影響でおぼろげながらも「いつか僕もオリンピックに出たい」と夢を抱き、さらに水泳に打ち込みました。

 でも、中学3年生で挫折をしたんです。トップクラスの選手たちと大会で出会ったことで、体格の差や練習環境の違いなどに直面し、「努力では乗り越えられない」と心が折れてしまったんです。

 10年間水泳だけをやっていましたから、水泳選手を諦めてからは「何をすればいいんだろう?」と途方に暮れました。そこで「変わりたい」と強く思ったことが、僕の人生の最初の転機でした