1913年に日本初の腕時計を発売し、現在、国内・海外に向けて幅広く時計の企画・製造・販売を手掛けるセイコーウオッチ。取締役・常務執行役員の金川宏美さんは、一男一女を育てながら、主に営業部門の第一線でキャリアを築いてきた。その道のりは山あり谷あり、悩みながら一歩一歩進んできたという。これまでの歩みや、仕事と育児の両立について聞いた。

【前編】セイコーウオッチ常務 涙の職場復帰、海外出張が転機に ←今回はココ
【後編】管理職に挑戦する人は100点を目指さなくていい

生き生き働く先輩ママ社員の姿に刺激を受けて

 大学時代にドイツ語を専攻していた金川さんは、大学3年生の時に初めてのドイツ旅行でミュンヘンを訪れた。そこで目にしたのが、路面電車の車体を飾っていた「SEIKO」の交通広告。海外で活躍している日本ブランドの存在が強烈に印象に残り、就職活動では服部セイコー(現セイコーホールディングス)の採用試験に応募したという。

セイコーウオッチ取締役・常務執行役員の金川宏美さん
セイコーウオッチ取締役・常務執行役員の金川宏美さん

 「当時はまだ男女雇用機会均等法が施行される前で、女性は四年制大学卒よりも短大卒のほうが就職しやすいといわれていた時代。ですが、服部セイコーは四大卒の女性にも広く門戸を開き、しかも海外で仕事をするチャンスを与えるという、先進的な取り組みをしている会社でした」

 グローバルな仕事がしたいという希望がかない、入社後は海外営業部門に配属された金川さん。同じ部署には時短勤務の先輩ママ社員が複数いて、子育てをしながら生き生きと働く様子に刺激を受けたという。

 「出産する前は『子どもを産んだら働き続けるのは難しいかも』と思っていたんです。でも、職場の先輩ママたちから、『大丈夫よ。産休が明けたら安心して出てらっしゃい』などと励ましてもらううちに、『とりあえず仕事に復帰してみて、ダメだったらそのときにどうするかを考えればいい』と思うようになりました」

 27歳で第1子を出産した当時はまだ育休制度がなかったため、金川さんは産休が終わる産後8週の時点で仕事に復帰。保育園見学をし、0歳児専門のベビールームで「この人になら安心して預けられる」と思える保育士と巡り会えたことも、復帰の後押しとなった。

 しかし産休明けの出社日には、涙が止まらなかったという。