三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任し、1993年、57歳のときに、生きものを歴史との関係のなかで捉える「生命誌」研究を目的としたJT生命誌研究館を設立した中村桂子さん。66歳で同館の館長となり、現在まで「生きもの」を研究し続けている中村さんは、同時に共働き家庭の大先輩でもあります。

 そんな中村さんに、キャリアについて、生命科学について、子育てについて、日経DUALの片野温編集長がインタビュー。2時間にわたるお話は、82歳の中村さんが、過去から現在までの技術革新も理解したうえで、今の親世代に伝えたいことが凝縮された内容になりました。

 4回にわたりお伝えしていきます。第1回は、中村さんがなぜ今、「ふつう」を提言したのかについて、競争社会への違和感について迫ります。

【中村桂子さんインタビュー】
(1)手がかかる、思い通りにならないのが子どもと認めて←今回はココ
(2)子育て中 大変な「今」だけ見てマイナスと思わないで
(3)年に一度のキャンプより小さな自然を毎日見つめて
(4)子どもたちが機械に支配されず生きるのに必要なこと

本来はいろんな人がいることが、「ふつう」

JT生命誌研究館 中村桂子館長
JT生命誌研究館 中村桂子館長

片野編集長(以下、──) 中村さんはJT生命誌研究館を設立して以来、25年もの間、東京と京都を行ったり来たりする生活を送っていらっしゃるのですよね。

中村桂子さん(以下、中村) そうなんです。生命誌研究館は大阪府高槻市にあるので、毎週出かけ、京都のマンションと、家族のいる東京の家との両方で暮らしています。私が京都にいるときの家族の食事は、夫と一緒に暮らしている娘が用意しています。

── 京都にいらっしゃるときは単身赴任状態なのですね。中村さんの著書に、京都のマンションの窓から『枕草子』の「春はあけぼの~」のように日の出の景色が楽しめるとあり、すてきだなぁ~と。

中村 二条城北にあって、窓を開けると東山が見えるんですね。この25年で京都にもどんどん高い建物が立ってしまい、抜けるような景色ではなくなってしまいましたが。

── 中村さんは昨年『「ふつうのおんなの子」のちから』『中村桂子 ナズナもアリも人間も』という著書を出されました。これらの著作を通して、中村さんが「世の中が雑になってきている。思うような21世紀ではない」と指摘なさっていることに、子育て中の親として胸がザワつく感じがあるのですが…。

中村 ちょっとそうお思いになりませんか? 私は、難しいことを言うつもりはないのですが、ただ『「ふつうのおんなの子」のちから』で「ふつう」をタイトルに入れたのには理由があるんです。「ふつう」には本来基準はなく「私は私」とすることが「ふつう」のはずなのですが、最近は「ふつう」を決めて「あなたはふつうではない」としてしまう風潮もあり、それに対する抵抗感がありました。

 分かりやすく例えるなら、機械やコンピュータには、これが標準という基準があります。自動車工場で作られた自動車は、基準に合わなければ製品として認められません。でもそれは、機械だからです。

 「生きもの」は一人一人違うもので、その違う者同士が交じり合うのが世の中なのですよね。家庭でも、同じ両親から生まれても、きょうだいで全く違うでしょう? 「完璧な生きもの」はないし、むしろ違わなければ「ふつう」ではないとも言えます。

 いろんな人がいることが、「ふつう」なんですよね。

 ところが今、そういう「ふつう」がとっても、なくなっている気がしているんです。みんなを型にはめて、一直線の中で競争しなさい、一番、二番と順位を決めなさいという世の中になっている気がしていて。でもそれは生きものには合わないことなんです。

── 確かに、機械は均一でなければ「ふつう」と認められませんが、人間がみんな同じということはありませんね。一方で、子育ての中では「“ふつう”、何歳ならこれくらいできているものかな?」などと思ってしまう面もあります。

中村 例えば「ご飯を炊く」のに、皆さんは炊飯器を使うのが“ふつう”ですよね。そのおかげで働きにも行けるわけです。でも私が子どものころは、母がお釜をガス台にかけて炊いていましたから、ずっと火加減を見ていなければならなりませんでした。しかもベテランの母は上手に炊けても、子どもの私が同じように炊こうとしたら、火加減を見ていても焦がしてしまったりする。

 炊飯器という機械を使えば、均一にできますし時間短縮にもなって便利です。ただそれがあまりに素晴らしいと「手をかけず、時間をかけず、思い通りにできることがいいこと」になってしまいかねないんです。

 でも生きものの場合、機械のようにはいきません。すべての生きものは、育つまでに手間も時間もかかるもの。お隣の子がこんなことを早くからやっているから、うちの子も早くやらせなきゃと言ったって、できないものはできないですし、1歳には1歳の、3歳には3歳の、5歳には5歳の意味があります。それを飛ばしてしまったら、「生きている」ということにはならないのではないでしょうか。

── 時間との戦いの中で生活をしていると、効率を上げるものは称賛されがちですね。機械の効率性に助けられることも多いからこそ、手がかかるということに抵抗があるのかもしれません。