今、私の苦しみと夫の苦しみは全く違います。以前は「分かるよ」と言い合えたのに、夫は出稼ぎ大黒柱の重圧を知らず、私は異国で暮らす専業主夫の孤独が分からない。互いの立場をリスペクトして励まし合うことはできるけど、いつも私は一抹の寂しさを覚えるのです。あの、同じしんどさをシェアできた時代に戻れたら。

 そんなきれい事じゃないよ、って思うかもしれませんね。動画にも出てきた「なんで私ばっかり」は、今の女性のリアルな声だと思います。共働きって言っても、女ばっかり割りを食って、アンフェアじゃんって。でも時代は少しずつ変わっています。これからはきっと、より多くの男性が両立のしんどさと喜びをシェアするようになるでしょう。企業の取り組みも進んでいるし、自民党の議連が「男性の育休義務化を」と言い出したくらいですから。

昔を思い返して切なくなるけど、あの頃は確かに全霊を注いでいた

 チームは、いい時ばかりではありません。子どもが生まれてからの16年余りを振り返ると、チーム解散の危機は数え切れないくらいありました。子はかすがいとしか言いようがないこともありました。子どもを持ったおかげで知ることができた夫の素晴らしい面と、子どもを持たなければ見ずに済んだ負の面と。それはお互いさまですが。二人きりの世界とは全く別次元の関係を生きることになった私たちは、自分の持てる最善のものをわが子に与えようともがき、ぶつかり合い、時にはたたえ合って、ここまで来ました。子どもたちが自分の足で未知の世界へ歩み出そうとし始めた今、ふと隣を見れば、出会った頃とは全く違う人物が、見慣れた笑顔で我が子の背中を見つめているのです。

 東京で幼い子どもを連れた家族とすれ違うとき、ベビー向けのお店で見覚えのあるおもちゃを見かけたとき、胸がギュウッと切なくなります。あの幼かった頃の息子たちに、もう一度会えたら。今ならもっと優しくできるのに。もっとよく見て、よく聞いて、全てをおそろかにしないように、一秒一秒を大切にすればよかった、と思う。今ならきっと、上手にできるのにと。でも、私たちは精いっぱいやりました。あのときどれほど全霊で子育てに奮闘していたかを、私も夫も生涯忘れないでしょう