どこまでが「ありのまま」でいい? モンテッソーリ「教えながら教えなさい」

―― じゃあ、「これをしたら、○○をあげるから頑張りなさい」というのはお話にならない言い方ですね。「声かけ」と「褒める」というのが、行き過ぎている感じはします。ずいぶん前になっちゃいましたが、「ありのままでいい」「あなたそのままでいい」っていう認め方もなかなか分からないんですが、ちゃんとやらないといけないシーンもたくさんあるわけで。どこまでが「あなたのまま」でいいんでしょうか。「ありのままでいい」って子どもに言うのはどうなんでしょう。

相良 それは、大人に言う言葉じゃないかしら。「教えないで教える」教育とかもね……。

―― 「教えないで教える」ってよく分からないですね。時々聞きますけれど。

相良 しきりと文科省さんがそんなことを言っています(笑)。でもね、運動心理学の専門家の方が「正しい目的がかなった動き方は教えなければならない」と言っていました。4歳前後は、目的にかなって道具を正確に使えるようになる随意筋力調整期でしょう。実際、その時期に子どもに教えてみると、道具を正しく持てると喜ぶんですよ。

―― 「そのやり方は間違いだから正しくやって」と教えるのにも勇気が要るんですよね。子どもが1回でできないことも多いので、正しくやる動き方を示すのに、大人にも自信がないのかもしれませんね。

相良 モンテッソーリは「教えながら教えなさい」と言いました。教えても子どもは見てほしいときに見ていないし、教えたと通りにしてくれない。今はまだできないとか難しいんだなということも、ちゃんと向き合って無理には教えない。そしてまたチャンスに出合うと、何となく優しく教えながら、またちゃんと教えていく。そうしているうちに時期が来ますよ。

―― 教えたくても、親を見てくれない時期もあります。

相良 最初から上手にはできませんしね。

―― 「何でできないの」ってつい言ってしまいます。前回出てきた、かえるがおたまじゃくしに「なんで陸の上で息できないの」って言うムチャぶりなお話ですが、大人はどうしても言語でのコミュニケーションを急ぎがちです。言葉がしゃべれる、文字が書けるのがうれしいということで、しぐさで伝えるのを怠りがちなんでしょうか。

相良 一つの認識が欠落していると思うんですね。手を使うことがとっても大事。その手を頭で理解するんじゃなくて、手を使うことがとっても必要な時期だし、手を使うことが脳へとつながるわけでしょ。だから言葉でするのではなくて、正しい使い方をできるようにして見せてできるようにしてあげるほうが、ちょっと時間はかかるけれど本質的ですよね。

―― 習い事も最近は2・3歳ごろからぎゅうぎゅうに詰める傾向があります。習い事はモンテッソーリからすると余分であることも多いでしょうか。

相良 どうなんでしょうね。あるお母さんはお子さんにたくさんお稽古事をさせて、そのお子さんが何とも言えないやる気のない顔つきをしていてね。そのうえ、伸び伸びと自由に遊ばせるのがいいっていうのもポリシー。伸び伸び遊ばせているつもりだけど、一方でやっぱり顔が曇ってる、と……。お母さんたち、皆さんおっしゃるんです。「子どもがやりたい」って。でも、子どもは微妙に親の意向をくみ取るんです。

―― 「やりたいって言いなさい」とお母さんのおでこに書いてあるかもしれませんね。空白の時間がないと達成できないこともありますよね。モンテッソーリのやり方は、のんびりとした時間や空白の時間がないと一人で最後まで繰り返しできないですよね。「あと15分で」と急がせてしてしまうとなかなか実行できないかもしれません。また現代の暮らしという意味では、タッチレスなどの「〇〇レス」が多いですよね。どんどん手を使う機会も奪われているかもしれません。ポンッてボタンを押すと、から揚げもできるそうなんですよ、最近は(笑)。もうドラえもんの世界みたいなんですけど。便利かなと思われているけれど、このようなモンテッソーリの教育から考えると、そんなものないほうがいいというものを挙げることはできますか?

相良 家電もなかなかにして、環境づくりが余計に大変ですよね。タッチレスでキャッシュレスでとなって、かたや子どもは環境が必要ですから。水道の蛇口をひねるのも、ドアも開けないで自動でね。だけどね、どうしましょう(笑)。