「頭のいい子」が育つ家庭は、何が違うのか。子どもの学力や能力、才能を存分に開花させるために、親が家庭でやるべきこと、心がけるべきことは何かを探る期待の新連載がスタート!

 新連載第一弾として、高学歴芸人として知られる人気お笑いコンビ、ロザンのお二人にインタビュー。名門進学校の一つである大阪教育大学附属高校天王寺校舎で同級生として知り合い、その後京都大学を卒業した宇治原史規(ふみのり)さんと大阪府立大学に進学した菅広文(すが・ひろふみ)さんに、幼少期の思い出や、育った家庭の基本スタンス、親が自分にしてくれたこと、親に感謝していることなどについて語っていただきました。上編では、主に宇治原さんのお話を紹介します。

共に転校を経験し、大阪の進学校で出会う

 宇治原さんは、幼稚園から中学2年生まで広島で育ち、公立小学校、中学校で学びました。中学3年生で大阪に転校。当初は学区内の公立高校を受験しようと考えていましたが、塾の先生から、国立の難関校である大阪教育大学附属高校天王寺校舎を勧められて受験。偏差値72の狭き門を突破して、合格しました。

 一方の菅さんは、幼少期に長野で育ち、国立の信州大学教育学部附属松本中学校に入学。中学1年生のときに大阪に引っ越して、同じ国立である大阪教育大学附属中学に転入し、附属高校に内部進学しました。「国立大学の付属同士のネットワークがあり、空きがあれば転校させてもらえる仕組みがあるのですが、空きがないと入れません。たまたま、僕が大阪に引っ越すのと同じタイミングで転出する子が出て、入れることになりました。宇治原と出会えたのも、ほんまに運やなあと思います」(菅さん)。

高校で出会い、四半世紀にわたってコンビを組むロザンの菅広文さん(左)と宇治原史規さん(右)
高校で出会い、四半世紀にわたってコンビを組むロザンの菅広文さん(左)と宇治原史規さん(右)

 偏差値72という学力を持ち、高校入学の定員がたったの20人という超狭き門を突破して自分の学校に入ってきた宇治原さんを、菅さんは「高性能勉強ロボ」と心の中で呼び、同じバスケットボール部に入って仲良くなってからも一目置き続けてきました。そんな菅さんが、宇治原さんや自身の勉強法などについて記した『身の丈にあった勉強法』(幻冬舎)の中でもエピソードが紹介されていますが、そもそも、宇治原さんが「勉強を嫌だと思ったことは一度もない」と言い切れるほど勉強が好きになった原点は、幼稚園時代に母親が、新聞の折り込み広告の裏にクイズを書いてくれたことにあったようです。

 「姉が面倒見がよくていつも遊んでくれていたのですが、姉が小学校に入ったら宿題をするのに忙しくなって、僕と遊んでくれなくなったんです。暇を持て余していた僕に、母親がチラシの裏に穴埋め式のクイズを書いてくれました。例えば、『1+1=?』とか、『さくらの□(きが正解)がはえています』といった感じです。宿題をする姉の隣に並び、遊んでいる感覚で楽しみながら問題を解いたことが、勉強のスタートになりました

 「母としては、僕にクイズを与えておけば、その時間に家事もできて楽だから、といった理由だったのかもしれませんけどね」と宇治原さんは振り返りますが、当時も、小さな子どもが一人で遊べるものは他に色々あったはず。ですが、テレビを見させたり、おもちゃを与えて放っておいたりするのでなく、問題を手作りしてくれたところに、母親の大きな愛情を感じます。問題が解けると「わあ、すごいね!」と褒めてくれたのもモチベーションにつながったと宇治原さんは言います。

 「 “やらされる感覚”ではなく、遊び感覚で勉強に取り組めたことは大きかった。その感覚は大人になった今に至るまで、ずっと続いています。今はよくクイズ番組に出させていただき、東大出身の回答者などにもよくお会いしますが、皆さんに共通するのは、本当に勉強が好きということ。“やらされている”感覚の人はいないですね」(宇治原さん)

 宇治原さんが勉強好きになったのには、もう一つのきっかけがあったそう。「人と話しているときは、その人の目をしっかり見ながら聞きなさい」というお母さんの“しつけ”です。