早いもので地獄の保活経験から早や1年が経ちました。娘のゆっちゃんも今春、初めての進級です。思えば保活の異常さを吐露したことから始まったこの連載(バックナンバーはこちら)。今読み返すと当時の生々しい状況が思い出され、まだトラウマとしてはっきり残っていることを実感します。定期でベビーシッターをお願いすることにした矢先に繰り上げ入園で新園に通うことが決まり、本格的な両立ライフが始まって1年が経ちました。今回は、預けると決めたものの0歳で娘を預けることに葛藤し、未知なる両立ライフへの不安もあった1年前の自分と同じ心境のパパ・ママたちに「大丈夫! ハレルヤ保育園よ!!」というメッセージを送る回にしたいと思います。

不安からスタートした保育園生活

 今となっては1年前の自分の不安を笑い飛ばしたくなりますが、あのころはまだお座りしかできない娘を保育園に預けることに一抹の胸の痛みと、成長になんらかのマイナスな影響はないのか、不安が常につきまとっていました(じゃあ入れなきゃいいという話なのですが、1歳児入園の奇跡的確率に人生と家計を預けられません)。

 忘れもしない1年前の桃の節句の日。入園を申し込んだすべての保育園に落ち、“待機児童”が確定しました。生涯忘れ得ぬ“ブラック雛祭り”であります。落胆、不安、焦燥感、怒り、心が真っ黒になったあの日。幸いにもそのあと待機を申し込んだ複数の園のうち、ひとつの園から繰り上げ入園の連絡があり、娘は保育園に入園することができました。ですが、新園だったこともあり、先生方も全学年初めましてですから、名前を間違えられたり先生によって異なる持ち物をインフォメーションされたりと、不安に拍車がかかった保育園デビューでした。

入園当時はお座りしかできなかったのに、今は毎日スニーカーを履いて元気いっぱい登園しています
入園当時はお座りしかできなかったのに、今は毎日スニーカーを履いて元気いっぱい登園しています

不安が“よかった”に変わったとき

 ですが、そんな不安は最初だけでした。わが家は双方の母が他界しており、土日が仕事の主人と、私も土日に時折イベント登壇が入る関係で、週5保育園(日曜+平日1日休み)+たまにベビーシッターという保育環境です。最初はシッターさんに娘を預けている数時間も不安がいっぱいでした。預けることで娘に及ぶ影響をコントロールできないことへの不安が大きかったのだと思います。

 その不安から安心に変わった大きなきっかけは、私が娘の相手をすると、どうしても“ながら遊び”になってしまうことが多いと気付いたことです。仕事をしながら/家事をしながら/何かをしながら、声だけ「わ〜すごいね〜」と適当な対応をすることもしばし……0~1歳半の成長過程は、忙しい母でも気づけるほど毎日毎日できることが増えているわけで(主に危険ですが)、きっともっと細かく見ていたらもっとできることがたくさんあるのだろうと思うわけです。

 そこで親として、発育を促すような遊びなり声がけなりをしてあげたいのですが、ワーママとしてはもう毎日のto doをこなすのに精一杯!(心の叫び) 寝かしつけで寝落ちしてコンタクトを外すことすら満足にできない日々。心の余裕なんぞとてもとても。

 そんな私にとって、他の何事にも気をとられず、全身で娘と向き合い、娘の成長に沿った遊びなどを提供してくれる先生の存在は有り難きこと仏のごとくといいますか。同じことを何度要求しても、読解不明な宇宙語を投げかけても、笑顔で自分にとことん付き合ってくれる存在に、あふれんばかりの娘の笑顔を見るとき、「あ、よかったな」と思えました。 

 片手ほどのバリエしかない私の歌のレパートリーに比べて、当然だけれど先生方の歌や遊びのバリエの豊富なこと! 保育園やシッターさんは、ママ&ワーママ1年生の私にはできないこと・気づいてあげられないことを惜しみなく娘に与えてくれる存在なのです。