壁にぶつかり 好きなことを模索し始めた

── 不登校だった時期は、どんなふうに過ごしていたのでしょうか?

まつお 悩んでいる中でも、何かしないと、とは思っていて。好きな絵を描くことだけは続けていました。両親は、子どものころから私が描いた絵を見せると、いつも「上手だね」などと褒めてくれました。そんなに上手でもなかったんですが(笑)、そんな言葉がすごく励みになりましたね。

幼少期母に贈った絵。絵を描くことは、大好きな両親と自分とをつなぐ大切なコミュニケーションツールだった
幼少期母に贈った絵。絵を描くことは、大好きな両親と自分とをつなぐ大切なコミュニケーションツールだった

── まつおさんが、絵本作家の道に進むことになったのも、そのころのご両親からの励ましがあったからだったのでしょうか?

まつお 絵を仕事にしたいと思ったのは、もう少し後ですが、両親から「好きなことは、宝だよ。だから好きなことはやってほしい」と言われていたんです。中高一貫校に通っていましたが、進学時に別の高校に通うことに決めました。通信にも切り替えられる学校で、後から学費は普通の学校よりも高額だったことを知りましたが、そのときも両親は反対せず、何も言わず支援してくれました。働いて支えてくれる両親を見て、自分には何ができるだろうということはそのころから考えるようになりました。

── 中学でとことん悩んだからこそ、高校時代に自分の進路について早くから意識されたのですね。

まつお それまでの経験から、会社員は向いていないとは思っていたので、だったら何ができるか、何が好きかを考えるようになりました。それがお菓子作りと絵でした。それでまずは、ケーキ屋でアルバイトをしてみて……。でも、体力勝負のパティシエは自分には無理かな、と。だったら絵を真剣にやってみよう、と思うようになったんです。美大を目指してデッサンなどを学ぶ予備校に通いたいと親に相談し、予備校の授業料の半額は自分でアルバイトをして出せるようにしていました。

── 自分の道を決めて、そのために具体的に行動されているのを見て、ご両親も応援してくださったのですね。

まつお 「やってみたらいいじゃない」と。両親は私や姉がやりたいということを反対することはまずありません。なんでもやらせてくれるところは本当に感謝しています。

父の言葉は「子どもがやりたいことを、親が反対する理由はない」

── 美大を卒業する際の進路についてはご両親にはどのように相談しましたか?

まつお 私自身、いきなり絵本作家としてやっていけるか自信はありませんでした。就職したほうがいいのかもしれない、と思いながらも、一度は決めた道を目指してみたくて、両親には就職か、絵でやっていくか迷っている、と正直に言いました。

── ご両親はなんとおっしゃいましたか?

まつお 父も母も、「作家でも就職でも、好きなほうを選びなさい」と言ってくれました。ただそのときに、「好きなことはずっと続けてほしい」とも言ってくれました。母は、「好きなことがあるのは宝だよ」と。自分は趣味がないのが悩みだから、好きなことがあるのはすごくラッキーなことだ、と。父は、絵でたとえお金にならなくても、副業をする手もある、と。「とにかく続けることが大事。死ぬまで描いてほしい」と言ってくれたんです。

── とても心強いアドバイスですね。そして、実際に好きな道へと進みました。

まつお 最近、「なぜ絵本作家になることを反対しなかったの?」と聞いたことがあります。父は、「娘が好きなことをすると言っているのに、反対する理由がないじゃないか」と言ったんです。その言葉はとても深く胸に残っています。