「レールに乗り切れない自分がどう生きていくべきか」考え続けて大人に

―― ご両親から与えてもらった体験の積み重ねが、今の事業にもつながったということですね。今や「アパレル業界の革命児」とも言われ、これまで日陰の存在だった工場発のブランドを生み出すという、誰も試みたことのないことに挑戦をしていますが、そこにもご両親からの影響はあると思いますか。

山田 直接何か言われたことはありませんが、僕の意志をいつでも尊重してくれた姿勢は確実に支えになっていると思います。先ほどお伝えしたように、僕は周りと比べて劣っていましたが、両親はそのことで、僕を責めたり非難したりせず、いつもあるがままの僕を受け入れてくれていた。だから、僕自身も、「他人と比較せず、自分自身の内面と向き合えばいいんだ」と、自然と思うようになりました。

 「常識」や「普通」の枠に自分を当てはめようとすると、どんどん苦しくなりますよね。「レールに乗り切れない自分がどうやって戦っていけばいいのか」を考え続けて大人になった気がします。「服のタグに工場名を入れる」「工場が値付けする」といった、これまでのアパレル業界ではあり得なかった方針を決めたのも、誰かと競うのではなく、自分にとって心地いいと思える理想の世の中を目指したかったからです。

―― 山田さんのオープンで親しみやすいコミュニケーション力も、ご両親の教育がベースになっているのでしょうか。

山田 接客を手伝っていたので、初対面の人と打ち解ける力は自然と身についたかもしれませんね。マダムたちを相手に、いかに関心を引きつけるか(笑)。店に出ている時、ある常連さんが母を目当てにご来店したとします。でも、母は他のお客さんに付きっ切りになっている。母の手が空くまで、何とか間を持たせようと、子どもの僕が頑張るわけです。「そういえば、福山雅治さんの大ファンでしたよね。最近コンサートには行っているんですか?」とか(笑)。

親しみやすい人柄が持ち味の山田さん。抜群のコミュニケーション力は、幼少期からの実家の店での接客で培われた
親しみやすい人柄が持ち味の山田さん。抜群のコミュニケーション力は、幼少期からの実家の店での接客で培われた