ディスプレイやホームページも子に一任

 例えば、店の手伝いにおいても、マネキンのディスプレイや、季節ごとの壁面の装飾など、クリエイティブな仕事を積極的に任せてくれていましたね。「正月っぽく羽子板を飾ってみようかな」と自分なりに工夫するのが楽しかったです。店のホームぺージも、高校時代に、僕が「ホームページ・ビルダー」というソフトを使って、自作しました。プロに任せずあえて僕に任せてくれたところに、経験の幅を増やしてあげたい、といった両親の思いがあったのかなと思います。

 先ほど(インタビュー【上編】)、家族旅行はほとんどなかったと言いましたが、両親は海外に行く機会も積極的に与えてくれました。早い段階で海外の敷居を低くしてくれたのはありがたかったですね。おやじは苦労人で自分は新婚旅行くらいでしか海外に行ったことがないのですが、息子には「広い世界を見せたい」と思ってくれていたのでしょうね。

―― 何歳の時に、どこの国に行ったのですか?

山田 中学1年生の時、地元のテレビ局が企画したカナダへの短期留学に応募して行かせてもらったのが最初です。行ってみてとてもよかったので「またカナダに行きたい」と言ったら、「世界は広いんだから、同じ国はダメだ。次は他の国に行け」と。そこで、大学時代にはバックパッカーで30カ国を回りました。

 そして、大学時代の交換留学プログラムで選んだ先がフランス。パリのグッチで働いた経験が、起業につながっているのですから、あの時に「行っていい」と両親が背中を押してくれたことには感謝したいです。世界を見る経験をさせてもらったからこそ、「日本のものづくりの素晴らしさ」に気づき、それを大切に継承するためのビジネスモデルを本気で考えるきっかけになりました。

 両親は商売をしているので、お金には厳しかったですし、僕が会社を作る時にも「身内からしか金を集められないようでは商売は失敗する。借りるなら銀行に行きなさい」と1円も出してくれませんでした。そんな両親ですが、海外に行く費用は惜しまず出してくれた。子どもが知見や視野を広げるための「投資」と考えてくれたのでしょうね。