「メイド・イン・ジャパン」に徹底的にこだわった服飾・雑貨ブランド「ファクトリエ」を展開し、「アパレル業界の革命児」として注目を集めている山田敏夫さんは、熊本市内の老舗洋品店の次男坊。夫婦で店を切り盛りし、忙しく働く共働きの両親から、多大な影響を受けてきたと言います。平日の家族そろっての夕食が毎日夜10時、家族旅行もしたことがないほど多忙を極めていた共働き家庭で育った山田さんが両親からどのような価値観を受け継ぎ、どんな家庭教育を受けてきたのか。先の見えないこれからの時代をたくましく生き抜く子どもを育てるためのヒント満載のインタビューを上編・下編の2回に分けてお届けします。

<ファクトリエ 山田敏夫さんインタビュー>
【上編】 山田敏夫 街全体に見守られて、僕は育った ←今回はココ
【下編】 落ちこぼれだった僕を、両親は常に受け入れてくれた

「あんたは本当にもうからない商売をしてるわねぇ」

日経DUAL(以下、――) 山田さんは優れた技能を持つ日本各地の縫製工場と提携し、工場の名前を冠した商品を企画販売するという、「メイド・イン・ジャパンの服作り」にこだわったユニークな事業を展開しています。実家は、熊本駅からほど近い商店街で100年続く老舗洋装店「マルタ號(ごう)」。幼い頃から店の手伝いをし、働くご両親を間近で見ながら育ったという幼少期の体験が、今の仕事のルーツとなっているそうですね。

山田敏夫さん(以下、敬称略) そうなんです。僕は次男なのですが、兄が「将来は小学校の先生になりたい」という希望を持っていたこともあり、「店を継ぐのは僕なのかな?」と思いながら育ちました。

実家である老舗洋品店「マルタ號」の店舗にて(山田さん提供写真)

 東京の大学を卒業した後は、経営のために必要な知識やアパレル業界の最先端を勉強するため、人材広告会社や「東京ガールズコレクション」を運営する会社で働きました。

 起業したのは、大学在学中に留学したパリで働いたグッチ・パリ店で、フランス人の同僚から「日本には本物のもの作りブランドがない」と指摘されたことがきっかけ。7年前にファクトリエというブランドを立ち上げ、仲間を増やしながら、「工場」が主役になれる服作りに挑戦しています。

 起業する時、両親は「アパレル業界で生き残るのは厳しいから、他の業態にしたほうがいい」と最後まで反対していたのですが、今では応援してくれています。帰るたびに、「あんたは本当にもうからない商売をしてるわねぇ」と呆れられるんですけどね(笑)。

―― 小さい頃はどんな環境で育ち、どんなお子さんだったのでしょうか?