「鍵っ子でかわいそう」の言葉に大反発

 子どもが熱を出したら看病するのは当たり前だし、看病するには会社を休まざるを得ない。僕は理解できず「あまりにも理不尽じゃないか。お母さんが預かってあげればよかったのに」と反論すると、当時の規定では民間のベビーシッターが病児を預かることは禁じられているのだと、母から説明されました。この保育の“空白”に気づいたことが、僕が日本で初めての病児保育事業を始めるきっかけになりました。

―― 共働き家庭で、「働く母の背中を見て育った」という駒崎さん自身の原体験も深く関係していそうですね。

駒崎 非常に関係しています。僕にとって母親が働くことは当たり前のことであり、母が働いてくれたから今の自分がある。働く母親が社会から排除されようとするのは許し難いことであると同時に、自分の母親、そして自分自身の存在を侮辱されるかのような気がするんです。

 子どものころ、「駒崎君はお母さんが働いていて、鍵っ子でかわいそうね」と友達のお母さんから言われたときも、すごく傷付いて、「俺はちっともかわいそうな子じゃない! 毎日楽しく過ごしているのに、何でそんなことを言うんですか!」と大反発したのを覚えています。

 競馬新聞を配達する母親がすごく頑張っているのも見ていたし、「ありがとね」とタバコ屋のおばちゃんが喜ぶ姿が誇らしくもありました。母親が働いていることに関して他人にとやかく言われる筋合いはないと子ども心に何となく感じていた気持ちが、僕自身の歩みの中で自然とつながり、強められ、「母親が子育てしながら働くことが当たり前にできる社会をつくろう」という具体的な行動につながっていきました。

―― 事業を通じて男性の育児参加を積極的に呼びかけられているのも、ご両親の影響ですか?

駒崎 はい。前回も少しお話ししましたが、僕の父親は、家事・育児を妻に丸投げするタイプで、電子レンジのスイッチですら自分で押そうとしない人でした。「母ちゃんはこんなに忙しいのに、電子レンジくらい自分で使えよ」と父親に対して反発心を抱いてきたことから、「自分は絶対に家事や子育てをちゃんとやろう」と決意し、育児休業を2回取って、子育てに深くコミットしてきました。

 大人になって事情を聞けば、父親は幼いころに戦争で実の父を亡くしたそうで、父親像をうまく描けなかったのかもしれません。ただし、そのロジックで言えば僕も父親不在に近い経験をしてきたわけなので、同じことが起こる可能性がある。強い意志をもって負の連鎖を断ち切らなければいけないと考えています。つくづく僕という人間は、コンプレックスやトラウマを乗り越えるために生きているなぁと思いますね(笑)。