夫婦は共に働き、共に育児や家事をする――。この意識は、ここ何年かで若い世代を中心に随分と普及したのではないでしょうか。なのに、子育て世代がモヤモヤを抱えたままなのは、取り巻くルールが旧時代のままだから? この連載では、前向きに自分の人生を切り開こうとしている人を紹介していきます。一人一人の小さな変革でも、社会を変えるうねりになるかもしれません。

 今回紹介する島津元子さんは、自身の興味や関心と重なる環境分野の会社で、ライフ・ワーク・ミックスの形を模索するママ。お子さんが中2と小3に成長した今は軽やかに両立していますが(「社内で「子ども参観日」実施 “夏休みの壁”に風穴」)、上の子が保育園に通う間は、無意識のうちに刷り込まれた「理想の母親像」にとらわれていました。

今回のDUALなヒロイン

 島津元子(しまづ・もとこ)さん。1978年生まれ、40歳。中2の息子、小3の娘、夫と都内で4人暮らし。大学卒業後、日本カメラ博物館で学芸員として働くなか結婚&妊娠。26歳での出産を機に、育児に専念するために退職する。専業主婦の生き方を自ら望んだものの、「社会とのつながりが絶たれて自分が壊れそうだった」と再び働くことを決心。息子が1歳半のときに派遣社員として仕事復帰する。派遣先企業の一つとして、今の職場であるアミタホールディングス(株)と出会う。2010年、32歳で第二子出産のため休職。1年間の休業を経て、同社の契約社員として採用され、2012年に正社員に。廃棄物の100%リサイクルや環境認証サービス、地域の未利用資源の利活用など、「循環」をキーワードに持続可能な社会の実現を目指す事業を展開する環境支援企業アミタホールディングスの経営企画チームで、役員のサポート業務を行っている。


 子育てに専念する生活は、私にはできない――。そんな自分の資質に気づいたのは、学芸員の仕事を出産で辞めてからでした。

 長男が1歳になるかならないかの時期でした。あやしても、あやしても、目の前の赤ちゃんは泣きやまない。

 「一体、この子をどうすればいいんだろう?」。ぼうぜんとする気持ちと毎日少しずつ蓄積された育児疲れから、ある晩、キッチンの床で膝を抱えて泣いてしまいました。ダムが決壊したように、涙が止まらなくて。

 見かねた夫が、「仕事してみたら?」と言ってくれました。

「子どもを預けるのは3歳以降」の時代に、夫が背中を押してくれた

 今中2の息子が1歳だった13年ほど前は、母親が乳児を保育園に預けて働くことはまだメジャーな選択ではありませんでした。「早くから子どもを預けてかわいそう」「母親が仕事をするなら、子どもが3歳を過ぎてから」といった価値観が主流だった時代です。私自身も「そういうものだ」と深く考えずに自ら出産退職したわけです。

 一番近くにいる夫が「無理しなくていいよ」と働く選択肢を提示してくれたことで、一歩を踏み出すことができました。

 運よく認証保育園に空きがあり、息子はその園でお世話になることに。私は登録した派遣会社からすぐに派遣先を紹介してもらえて、再び働き始めました。

 気持ちがスッキリと切り替わったわけではありません。密室育児で赤ちゃんとどう接すればいいのか途方に暮れていたにもかかわらず、息子と離れるのはつらい。朝に保育園に送り届けると、1歳の子どもがありったけの力で泣くんです。

 私が駆け寄れば息子が泣きやむことは分かっているのに、自分は背を向けて仕事に向かう……。非道な母親のように思えました。

 息子が保育園の先生に心を許し安心して過ごすようになると、再び社会とつながれた私も次第に平静を取り戻していきました。母や妻以外の役割を得て企業の中で必要とされ、仕事って面白いなと改めて思い出すようでした。