今回紹介するのは、元お笑い芸人で、プロの紙芝居師として活動する山田一成さんです。東京2020オリンピック・パラリンピックでは、広報活動の一環で、紙芝居を通じてパラスポーツの魅力を伝える仕事などをしています。上編では、山田さんが男性不妊と診断され、その後、待望の第1子が誕生するまでの過程を話してもらいました。

 自分が「男性不妊」だと分かったのは32歳のときで、妻が34歳でした。数年前から子づくりを始めていたものの、1年が過ぎ、2年が過ぎても、妻が妊娠する気配はありませんでした。きちょうめんな妻は、毎日欠かさず基礎体温をつけていましたし、月経周期も正確。「なんでだろうね」ということになり、産婦人科を受診しました。

 それにより分かったのは、妻の体に何か問題があるわけではないことでした。「だったら、僕?」ということになり、後日、改めて検査をしました。

検査結果を聞き、夫にどう伝えればいいのか……

 当日は、仕事を抜けられない僕の代わりに、妻が、精液を病院まで届け、検査結果を聞いてきてくれました。今思えば、かわいそうなことをしたと思います。医師から、「精子は『ゼロ』でした」と告げられ、妻は、「なんて伝えればいいのか……」と思い悩んだのだと思います。僕に事実を伝える際、ずいぶん言葉を選んでいました。

 一方、僕はというと、男性不妊という言葉すら聞いたことがありませんでした。それもあって、「精子がまったくいない」と言われても、「まったくいない? 大量にいるはずの精子が? そんなことあるかーい!」というおふざけモードです。

 その後も、「ちょっとくらいはいるだろう?」「いいえ、いない」「いやいや、いるはずだ」「いいえ、ゼロだった」というようなやりとりを、妻と繰り返しました。ショックだったとか、傷ついたとかいうより、「(本当に)ゼロなの?」という驚きのほうが勝っていたんです。ピンときておらず、むしろ、職業柄「ネタになる!」という気持ちのほうが強かったくらいでした。