ただ、第二子を妊娠してからは、そうはいきませんでした。仕事をしながら長男の子育てもして、さらには、ひどいつわりに悩まされていたんですね。両親は遠方でサポートも受けられず、初めて、「もう手いっぱいかもしれない」と思いました。

 イベント運営の仕事は大好きでしたが、当時の私にとって、これまでのような労働集約型の働き方を続けていくことは現実的ではありませんでした。私はもともと、目の前に仕事がある限り、何とかやり抜こうとしてしまうタイプですから、次男を妊娠し、産休に入って一時的に仕事が自分の手から離れたのはある意味、チャンスだったのだと思います。ブレーキをかけたタイミングで、現職のfreeeに転職、広報として働くことになりました。

 転職後も、時間の制約を理由にすることなく、最大限のアウトプットを出していこうという姿勢に変わりはありません。ただ、一方では、二人の子どもを育てながら働く大変さもひしひしと感じていました。その大変さに比例するように、私の中の「母親のウェート」が、むくむくと大きくなっていく実感があったのです。

もう、“看病”をアウトソースしたくはない

 こうした自分の価値観の変化は、今年の冬、私以外の家族全員がインフルエンザにかかったタイミングで、あらわになりました。

 以前の私であれば、会社を10日間も休むなんて考えられません。きっと、「今日は、夫に子どもたちを任せて私が仕事に行くね。明日は病児保育かベビーシッターさんにお願いしよう」と、割り切れたはずだと思うのです。

 ですが、このときの私にとって、子どもの看病をアウトソースすることは、とても“心地のいい選択”とは言えなかったんですね。

 「ママがいい!!」と泣く子どもを残していくことに罪悪感があるとか、「母親はこうあるべき」と思い込んでいたとかそういうことではなく、純粋に、病気の子どもを置いて仕事に行くことが、そのときの私には、フィットしなかったのです。

 正直、戸惑いましたね。「あれ? 私ってこんなタイプだったかな」と思いました(笑)。それは本当に、自分でも意外な変化でしたから。

 ただ問題は、自分にとって「心地のいい育児」をすることが、他人に負担をかけてしまうこととイコールだったことです。それはあってはならないことですから、そう自覚した以上、「もう、この仕事を辞めなくてはならないだろうな」と考えていました。

 職場のチームで、子どもがいるのは私だけだったのも大きかったですね。私が20代の頃は、時短で働く人のことを「早く帰れていいなあ」くらいにしか思っていなかったので、20代で子どものいないメンバーに、このときの私の心境の変化を想像し、理解してもらおうとすること自体、「おこがましいのではないか」という気持ちがあったのです。