育休から復帰すると、社内の様子が一変していた

 屋外広告というのは、ビルの上の看板やデジタルサイネージに掲出する広告のこと。私は制作部門に配属され、看板の発注や広告データの色味チェック、出来上がった看板を貼る職人さんの手配などを担当しました。20人ほどの会社の中で既婚の女性は私一人でしたが、不妊治療のことも上司の理解を得られ、通院しながら働くことができました。

 治療の末に子どもを授かり、2012年9月に長女を出産。認可保育園に預けるため、生後7カ月で仕事に復帰しました。すると、会社の体制が大きく変わっていたのです。「これからの広告営業には女性目線が必要だ」ということで、私のような制作や経理、総務といった管理部門の女性も含め、社員全員が営業を兼務することになっていました。

 慣れない仕事に加えて毎朝8時からの会議で結果も厳しく問われため、以前は和やかだった社内が次第にギスギスした雰囲気に。私は保育園の送りがあって間に合わないため朝の会議は免除されましたが、時短勤務で午後4時にあがることについては「一人だけ優遇されている」という目で見られるようになりました

心身ともに疲弊しつつも、広報の立ち上げに志願

 「いいよね、時短勤務は」みたいなことを言われたり、分析資料を提示された期限までに仕上げるのが難しいと伝えると「やろうとしないの?」と言われたり。以前はそんなことを言う人たちではなかったので、みんな追い詰められていたんだと思います。気持ちは理解できましたが、やはりこたえました。

 「できない」というのが怖くて、仕事を家に持ち帰り、娘を寝かしつけた後で夜中に起きてやるようになりました。授乳中ということもあって眠りも浅く、心身ともに常にぐったりした状態。夫には「そんなふうに無理な働き方をしないでほしい」と怒られ、同僚への気持ちとの板挟みになっていました。

 ただ、仕事に対する前向きな気持ちは変わりませんでした。子どもを預けてまで働くのだから、自分自身がハッピーでなければ意味がない。その頃、屋外広告の認知度を上げるために広報部門を立ち上げることになり、自ら志願しました。

 広報の仕事は充実していました。屋外広告はBtoBのビジネスで、世間的にはなかなか分かりにくい存在ですが、それでも少しずつメディア露出の実績も作れるように。都心のターミナル駅前に日本最大級のデジタルサイネージを設置した際は、初めて使用する日に点灯式を企画して、新聞やニュース番組などで取り上げてもらうことができました。「人に何かを知ってもらう仕事って面白いな」と思うようになっていました