今回紹介するのは、都内で公務員として働き、その後、熊本県・南小国町に一家で移住した安部千尋さん。現在は、地元の観光・地域商社・人材育成などの窓口を担うSMO南小国で、事業部部長として未来づくり事業を担当しています。「上」編では、安部さんが公務員を辞めて地方移住を決意した理由や、自分のやりたいことを見つけるまでのプロセスをお届けします。

今回のDUALなヒロイン

安部 千尋(あべ ちひろ)さん。1987生まれの32歳。夫と5歳の息子と共に熊本県阿蘇郡・南小国町で暮らす。

大学卒業後に都内の区役所に勤務するも、育休復帰後の部署移動をきっかけに転職。コーチングやファシリテーター講座などを受講し、環境に左右されない「ポータブルスキル」を磨く。2018年に一般社団法人RCFを経て、一家で南小国町に移住。現在は、SMO南小国の事業部部長として働く。


子どもが生まれ、公務員を続けていく自信がなくなった

 「今後のキャリアを、一体、どうしていこう?」

 育休から復帰ししばらくして、私はそんなことを考えるようになりました。当時の私の職場は、都内の区役所。子育てをしながら働くには最適な環境で、子どもの発熱による遅刻や予防接種による一時退席にも寛容でしたし、短時間勤務であってもフルタイム勤務と変わらない収入がもらえる期間も設けられているなど、手厚い福利厚生に恵まれていました。

 しかし、妊娠・出産を経て、私の「仕事に対する価値観」は大きく変化したのです。妊娠中に体調不良で2カ月の休職を余儀なくされ、自分の努力だけではどうにもならないことを実感し、「生きているうちにやりたいことをやらなければ、いつ、どうなるかなんて誰にも分からない」と、強く感じるようになりました。

 また、息子が生まれてからは、「公務員である限り、災害などがあれば自分の子どもや夫よりも、避難所にいる住民の方々の安全を優先しなければならない」という責任を重く受け止めるようになりました。待遇や報酬が安定しているのは、そうした責任感や義務と引き換えに与えられているものだと感じていたのに、非常時に迷いなく仕事を優先できる確信が、私には持てなくなったのです。

 そうした自分のキャリアにおける悩みは、それまで所属していた人事部から窓口へと異動になったことでさらに深まっていきました。多い日には100人以上もの人たちが手続きをする「窓口業務」には、あらゆるバックグラウンドを持つ人々が絶え間なく訪れます。

 当時は自覚していませんでしたが、私はもともと人混みが苦手で相手の感情に引きずられやすいところがありました。そのため、次第にストレスから体に異変を感じるようになり、疲労感が強くなっていきました。そしてある日、とうとう仕事中に手の震えが止まらなくなったのです。

 「このままでは自分を保てなくなる」。そんな危機感を募らせていたある日、行きつけのマッサージサロンで、担当者からこんなことを言われました。「コーチング講座を受けてみたら?」と。