「お母さんが家でも〇〇してあげてください」がプレッシャーに

 アドバイスというより「指導」みたいなもので、その言い方は「お⺟さんが家でも〇〇してあげてください」「お母さんが、△△のようにしてあげないと」などと主語が必ず⺟親である私でした。

 園長先生としては若い母親に、自分の専門的な知識を授けてあげようという親切心だったとは思うのですが、私自身も、子どもの発達の遅れに対して、どうアプローチしていけばいいかまだ知識が足りなく整理できていないなか、お迎えに行くたびに、私⾃⾝が責められているようで毎日負担に感じるようになりました。

 責めるような言い方をされるぐらい自分はダメな母親なんだと落ち込みましたし、息子と接する時間を増やし、息子に合った良い教育や環境を用意するために仕事を辞めようと本気で悩みました。

 夜な夜な、夫に泣きながら相談していました。一方で、「そんなにつらいなら仕事を辞めてもいいよ」と言う夫にイライラして、ケンカになることもありました。

法人営業部から人事部へ。柔軟な働き方が可能になった

 仕事を辞めるか続けるか――。悶々としながらも日々にいっぱいいっぱいだったとき、営業部でのかつての上司が今の人事部に異動しないかと声をかけてくれたんです。

 今後、会社として働き方改革を推進して新卒採用を拡大させていくという課題があり、部署の人員も増やしたいから、と。人事という業務内容の性質上、テレワークなど柔軟な働き方もできると言ってくれました。

 自分の状況を相談していたわけではなかったのですが、上司も共働きの子育て中なので、何となくそういう働き方が私にとって合うだろうと考えてくれたのだと思います。

 同じ時期に、息子の発達について相談していた自治体の職員の方から、保育園の転園のご提案をいただいたんです。息子のような健常児と障害児のグレーゾーンの子どもを支援するために、優先的に公立保育園に入れる制度があると知りました。転園すれば、現状の保育園よりも息子に対して手厚いフォロー体制があると薦めてくださいました。

 部署異動と息子の転園。私の悩みが一気に解消される良い方向に、進んだのです。

 当時の私は、自分が置かれている窮地に対して、何か環境を変えることで改善する方法があることに思い至れませんでした

 「仕事を辞めるか、今のまま続けるか」の2択しかないととらわれていて、でも決めきれずに、その場で踏ん張っていました。結果的に、周りのサポートでものすごく好転しましたが、自分で何か行動を起こしたわけではありません。運がよかった(笑)。

 自分が産休・育休後にしんどかったこと、子育てとの両立でつらかった時期を、これからママになる女性社員たちに経験させたくありません。自分のあのときのしんどさを再生産しないよう、社内制度という形で整えることが、私が今いる人事部ですべきことだと思っています。

 復職しての1年は、本当に自分はよく耐えました(笑)。あのしんどい1年があったからこそ、今の自分があると思ってもいます。

(取材・構成/平山ゆりの 写真/坂斎清)