親子、夫婦での論評合戦は意外にスリリングだった

 セブ島のITパークから、タブレット端末で『こころ』を読んでいた千隼からメールが到着した。

 ≪ストーリーはともかく、人物の気持ちを反映させた、情景描写の数々がとても読んでいて気持ちがよかった。部屋の間取りで表現する三角関係の妙や、道路がぬかるんでいて、真ん中にかろうじて出来ている細い道で先生がKとお嬢さんに鉢合わせする様子、明治天皇が崩御し、主人公が弔旗を実家に掲げるときの、不安げな空気感の描写など。特に気に入っているのは、主人公が先生の価値観にあてられ、卒業をありがたがる田舎者の父親を見下していたのだけど、うれしいのは卒業の価値以上に、この瞬間まで生きていて立ち会えたことだと言う父親をみて、自分の愚かしさを実感するシーン。そのとき、雑に持ち帰り、押しつぶされていた卒業証書を父親が伸ばして、立てかけようとするが、何度も倒れてしまうところが印象的だった。

 ここだけを抜き取って漫画にしたいくらいで、愛と友情に執着し、命が閉じていくクライマックスよりもそこに漂う微妙なユーモアに共感した≫

 明子もインドから、情景描写について指摘してきた。

 ≪「先生は蒼い透き徹るような空を見ていた。私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺めると、一々違っていた。同じ楓の樹でも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった」。この部分を読んだとき、自分も見上げているようで、主人公の心の動きが胸に迫ってきた。そういう細部が人生を構築しているのだと、気付けたことが一番の収穫≫

 私は、冒頭に挙げた海水浴での出会いのシーンや先生とKの房総を巡るひと夏の旅、主人公と先生の散歩の会話など、胸が苦しくなるくらい、同性同士の激しい思いが感じられることを挙げた。フランス映画との連想もそこに答えがある。すると、明子はこう返信してきた。

 ≪思考をどこまでも深めていきたい主人公や漱石自身にとって、男同士の関係のほうがずっと純度が高くて、同性を慕う思いは同性愛と近似値だったのだと思います。言葉にできない想いを共有できる存在と人は恋に落ちるのではないでしょうか。文中にもあったと思うけれど、本を読んだり思想を深めたりしない女性は何も考えない哀れな存在と見られたりするわけで、先生は妻には苦悩を打ち明けないで、感性を共有できると信じた主人公にだけ手紙を残しています≫

意外な視点が出てくると議論はさらに盛り上がった

 千隼はお嬢さんこそ“敵”だと指摘してきた。

 ≪枝葉ばかりの細かさに感動してばかりだけれど、実は怖い小説じゃないかと思った。構造的に物語の骨組みを抜き取ってみると、この小説での最大の敵は“お嬢さん”のように思える。またはお嬢さんという存在に出会ってしまった先生自身だと思うのだけど、一体これを女性がどう読むのか、とても気になる。お嬢さんによって先生の障害は発生し、そしてその障害を越えられず、バッドエンドに終わった。シナリオ論的にみるとそういうことだと思う≫

 明子は千隼の意見に対してこうつづる。

 ≪いつもクスクス笑っているお嬢さんの存在は、千隼に気付かされたけれど、確かに魔性的な存在ですね。時代に翻弄され酷い目にあっても結局女は生きていく。そのことを作品の傍流で強く主張している気がします。人なんていつ死ぬかなんて分からないじゃない、と、妻は言います。この会話に、実は妻(お嬢さん)はすべてを知っていて、先生に対して、わたしは大丈夫、と伝えたのか、とも思いました。いずれにしても男の勝手満載ではありますね(笑)≫

 長くなるのでこれ以上の議論は割愛するけれど、三者三様の解釈がだんだん深まり、共感も生まれ、『こころ』の魅力の秘密が解かれていくようで、とても興奮するやり取りだった。また、よい題材があったら、みんなで読みたい。今度は次男・朔也も交えてね。