少子高齢化、人権、子育て支援など、今日本の社会が直面している諸問題について、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんが各界の専門家や政治家に切り込む本連載。連載最後のゲストは、日本の教育学、保育を見つめ続けてきた汐見稔幸先生です。下編では幼児期に育ててあげたい能力や、多様性が増す社会で保育園が果たす役割について聞きました。

 上編 21世紀型の幼児教育は親子でディスカッション練習を

学びを自らの行動に結びつけられる子ども達を育てたい

駒崎弘樹さん 前回のお話しで、これから子どもたちが身に付けるべき「資質・能力」 は「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」として次の10の項目にまとめられると聞きました。この「資質・能力」についてもう少し詳しく教えてください。

・健康な心と体
・自立心
・協調性
・道徳性・規範意識の芽生え
・社会生活との関わり
・思考力の芽生え
・自然との関わり・生命尊重
・数量・図形、文字等への関心・感覚
・言葉による伝え合い
・豊かな感性と表現

汐見稔幸(しおみ としゆき)<br>臨床育児・保育研究会代表。東京大学名誉教授・白梅学園大学前学長。1947年大阪府生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。東京大学大学院教育学研究科教授を経て、2007年4月から白梅学園大学教授・副学長、同年10月より2018年3月まで学長。専門は教育学、教育人間学、育児学。三人の子どもの育児に関わってきて、その体験から父親の育児参加を呼びかけている。保育者たちと臨床育児・保育研究会を立ち上げ定例の研究会を続け、また同会発行のユニークな保育雑誌『エデュカーレ』の責任編集者でもある。『「天才」は学校で育たない』(ポプラ社)など著書多数
汐見稔幸(しおみ としゆき)
臨床育児・保育研究会代表。東京大学名誉教授・白梅学園大学前学長。1947年大阪府生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。東京大学大学院教育学研究科教授を経て、2007年4月から白梅学園大学教授・副学長、同年10月より2018年3月まで学長。専門は教育学、教育人間学、育児学。三人の子どもの育児に関わってきて、その体験から父親の育児参加を呼びかけている。保育者たちと臨床育児・保育研究会を立ち上げ定例の研究会を続け、また同会発行のユニークな保育雑誌『エデュカーレ』の責任編集者でもある。『「天才」は学校で育たない』(ポプラ社)など著書多数

汐見稔幸さん 「資質・能力」には 「個別知」「実践知」「人格知」という3つの側面の側面があり、これらを統合するのが「主体的・対話的で深い学び」です。簡単に説明すると、「何でそうなんだろう? もっと調べてみたい」とアンテナを立てられる学びの姿勢を持ち、他者の意見を聞きながら、独り善がりではない解を導き出せる力。そして、その学びを「では、僕は今日からどうしようか?」と行動に結びつけることが大事です

 これまでの日本の教育というのは、実践に結びつかない中途半端な形だったという反省があります。「地球温暖化防止のために炭酸ガスの排出量を削減しないといけない」と知識で学んでも、自分の行動にまで落とし込めていない。「本当にひどくなったら、科学者がなんとかしてくれるんじゃないの」と人任せで主体的になれない人間ばかり育てても、地球の温暖化は止まらないわけです。

 これらの学びの姿勢のベースとなる幼児期から身に付けたいことを示したのが先ほどの「10の姿」であり、それを一くくりにすると「資質・能力」となる。分かりにくい表現ですが、そうなっています。人間としての思いやりや粘りといった、いろんな言葉に置き換えられると思っています。

幼児期は学校での学びの土台を作る時期。非認知能力を意識しよう

駒崎 思いやりや粘り、他者への共感力を育むものとして最近注目されている「非認知能力」ともかなり重なる印象を持ちました。

汐見 ほとんど同じ概念です。では、非認知能力とは何かを説明すると、人間が備える能力には2種類あることが分かっているんですね。個別に習得するもので、いくつになっても習得可能なのが「認知能力」。例えば、ピアノを弾けるようになる、英語を話せるようになるというもの。ただ、この認知能力は転換ができない。「ピアノが弾けるくらい手先が器用なんだから、リンゴの皮もむけますね」というわけにはいかないでしょう?

 リンゴの皮をむく技術はまた別に習得しないといけない。サッカーができるからと球技全般ができるわけでもない。しかも、本人に「これを習得したい」という強い気持ちがないと身に付かない。さっきお話しした日本に暮らして英会話の必要を感じていない子どもに一生懸命英語を教えても身に付かない、ということに通じますね。

 で、この認知能力を早期教育しようと勘違いした時代もあったんだけれど、どうもそれだけではないと気づいてきた。それが非認知能力です。

駒崎 2000年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの研究者・ヘックマンが光を当てた概念ですね。1960年代からの追跡調査が現在も続いているという大規模研究に基づく考察です。目標に向かって頑張り抜く力や、周囲と協調して物事を達成していく力、感情をコントロールしていく力などが代表的なものとして知られている。

汐見 おっしゃる通り、いわば「社会で生きるためのベーシックな力」です。この非認知能力ですが、僕たちが子どもだった時代には自然と生活の中で身に付きやすかったんですね。幼稚園や保育園に通う子どもなんて1割もいなかったけれど、家の前の空き地はみんな子どもの遊び場だったし、近所中の子どもたちが集まって遊んでいた。遊具なんてないから、その辺の木に登って遊んだり、自分たちで道具を作ったりして遊びを考えるしかない。

 「今日はこの木に登れたぞ。明日はもっと高い木に登ってやる」と勝手に目標を決めたり、小川に橋を作ろうとしてうまくいかなくて「でも、ここまでやって諦めたら無駄になる。なんとか工夫しよう」と知恵を出し合ったり。異年齢の子どもたちで交わりながら、人をおだてたり頼ったり励ましたりするコツも自然と覚えていく。

 無限に広がる“遊び”の中で非認知能力が培われていたのだと思います。遊びだけじゃなく、昔は子どもがみんな家の仕事を手伝わされていて、僕も毎朝4時に起きてまき割りをする役目でした。早く遊びたいからなんとか仕事を早く終わらせようと工夫する。そんな生活をしていると、いつの間にか「難しいことでも、考え続けたらなんとかなる!」という楽観性も身に付いた。時間もたっぷりありましたから、「何度失敗してもやり直せばいい」という感覚も体得できました。

 そのプロセスがないままに小学校に行くと、勉強についていけなくなったときにどうしたらいいか分からなくなる。結果、落ちこぼれを作ってしまう。国語や算数といった知識はすべて認知能力で、その認知能力を育てる土台となるのが非認知能力なんです。しっかりと上を支える土台を作るのはいつか? 就学前の幼児期しかないじゃないかということで、ヨーロッパではどんどん幼児教育を無償化して、国を挙げて非認知能力を高めようとしています。

 非認知能力は一度身に付けるとなんにでも応用可能であり、社会全体にとって大きな財産となる。その大切な教育を担うのが幼児教育に携わるプロフェッショナルの皆さんなんです。そのことを当事者だけでなく、社会全体が広く理解する必要がありますね。

子どもへの寄り添いを重視することが非認知能力を高めるのに有効

駒崎 身が引き締まる思いで聞いています。「文字や数を早くに教えるのがいい」という間違った常識がまかり通っていた時代には、「園児全員で百人一首を唱和できます」みたいな幼稚園がもてはやされたりして、子どもに対して個別対応的な寄り添いを重視してきた保育の現場は「遅れている」とさえ思われてきました。しかし、実は保育園で大切にされてきた姿勢はむしろ非認知能力を高めるうえで有効であったと。「一周回って、新しい」という評価になっているんですね。

汐見 自己肯定感を育める環境というのは、非認知能力に関わりますね。