子どもは元から好きだった。でも、欲しくはなかった

金子 子どもはもとから好きだったんです。

八塩 でも、自分は欲しくなかったんだよね。

金子 自分が父親に対して「ふざけるな、このクソじじい」とか言っていた人間なんで。もう父親のこと大っ嫌いでしたから。家にいなかったし、家にいればガーガー好き勝手なこと言う。僕が法政二高に入ったときも「法政なんて大学じゃねえよ」って言い放っていたヤツですから。

八塩 私も自分の父親と折り合い悪いですから、人のこと言えない(笑)。常に自分の父親とケンカしていて、いまだにケンカしてますから。いわゆる“昭和のおやじ”なので、デリカシーがないんですよ、本当に。うちの父は特に。でも、お母さんたちは2人とも気のいいお母さん。

―― 金子さんのお父様は育児には参加されなかったわけで、「そういう父親になりたくない」って反面教師にした面はあるのですか?

金子 反面教師というか、父親というものになりたくなかったですよね。「僕にもあの血が流れているから、同じような父親になってしまうかもしれない。そんなの嫌だ」と。

―― 実際、父親になったらどうなりましたか?

金子 初めて自分一人で虎を見なければならなくなって、どうしても虎が泣きやんでくれなくて、虎の肩を揺すりたくなったとき、俺にもあの血が流れているのかな、と思いましたね。“虐待”と“ノータッチ”というのはまた違うと思うのですが、僕の中では“ダメな父親”というのは一緒だったんで。

―― でも、そこは乗り越えたじゃないですか?

金子 慣れただけじゃないですか? 2回目はそんなにプレッシャーも感じなくなったし。1回目は初めての経験でそこで泣かれて、どうしていいか分からないというパニックから……。

―― 母親でも、慣れないうちはどうしようもなく焦ったり、パニックになったりしますしね。

八塩 確かに私も最初のころは「もう嫌~!」みたいなのはありましたよ。でも、そういうときは夫に八つ当たりしたりしてね(笑)。

金子 大変過ぎるじゃないですか、最初のころって。それくらいしょうがないな、と思っていましたから。そんなときは、頭を下げて嵐が過ぎ去るのを待つのみ(苦笑)。

八塩 でも、虎と2人きりの最初の夜を経験してよかったんじゃない? お母さんの気持ちが分かったよね。

家族で行った沖縄にて
家族で行った沖縄にて

* 次回は、夫婦対談の最終回、「一流のスポーツ選手は、圧倒的に父親の関与率が高い」です。

(取材・構成/日経DUAL編集部 小田舞子)