新型コロナウイルスの影響で、多くの私立中学校は学校説明会や文化祭をオンラインで実施しています。各校が工夫をしていますが、実際に訪れて在校生や卒業生の話を聞いてみなければ、学校の雰囲気はつかみにくいもの。親が公立の中学校の出身の場合、男女別学はどんな雰囲気かをイメージしにくいのではないでしょうか。そこで、中高一貫の私立男子校に通い、現在は「勉強のやり方」を教える塾「プラスティー」で教育アドバイザーをしている3人に、男子校での6年間について語ってもらいました。

参加者プロフィル
清水章弘さん 1987年生まれ、海城中学高等学校(東京都)→東京大学教育学部
八尾直輝さん 1987年生まれ、ラ・サール中学校・高等学校(鹿児島県)→東京大学工学部
渡邉健太郎さん 1988年生まれ、浅野中学・高等学校(神奈川県)→東京大学文学部

女子が一人もいない! 入ってすぐに後悔した

日経DUAL編集部(以下、――) 進学した学校を志望した理由を教えてください。

渡邉健太郎さん(以下、渡邉) 中学受験は親のすすめでした。当時は今ほど共学の選択肢がなく、「中学受験で上位校を目指すのなら男子校」という感じでしたね。浅野は宗教色は強くないし、付属校でもないし、何か特徴のあるカリキュラムがあるわけでもなくて、他の男子校と比べて色がない学校といわれています。でも、それが浅野の良さだと思っています。もちろん、小学生のときはそんなことは知りもしませんでした。受験校は自分で決めたけど、多少は親の誘導があったような気がします。

八尾直輝さん(以下、八尾) 私は5歳から将棋を始め、小学5年生までは本気でプロの棋士を目指していました。でも、どうしても勝てない相手が一人いて、プロを目指すのを断念したのです。元来負けず嫌いだったので、その目標を勉強に変えようと思い立ち、「中学受験をしたい」と親に頼みました。当初、両親は中学受験には反対していましたが、私の“やる気”に負けたようです。最終的に父の母校だったラ・サールに進学しました。

清水章弘さん(以下、清水) 私も小学5年生までは、「将来はJリーガーになる!」とプロサッカー選手を目指していました。でも、スポーツ1本でいくと、もしケガをしてしまったときに人生が大きく変わってしまうかもしれないという怖さを感じ、勉強もやっておいたほうがいいのではないかと思うようになりました。上の兄2人が中学受験をしていた影響もあり、やるからには上を目指したいと、そこから本格的に受験勉強をしました。第1志望だった開成は不合格で、第2志望校だった海城に進学しました。

―― 入学前は男子校にどんなイメージを持っていましたか? 実際に通ってみて、どうでしたか?

清水 小学生の高学年って、女子はしっかりしているし、成長が早い子が多いですよね。正義感が強い子が多く、クラスがちょっと騒がしいと「男子、静かにしてください!」って真面目に注意をしたりする。そういう女子の存在がちょっと怖かったので、男だけだったら楽しそうだなと、気楽に考えていました。でも、入学直後、後悔しましたね。小学生のときにも好きな女の子はいたし、異性に興味がないわけではない。ところが、男子校には女子が一人もいないんです! 親に「僕、高校受験して共学に行きたい」って言いましたもん(笑)。

 でも、だんだん部活(サッカー部)が楽しくなってきて、男子だけの世界も悪くないな、って思うようになりました。

渡邉 私の場合、最初は「男子だけの世界、超楽しい!」って喜んでいたのですが、中2くらいになると、外で彼女を作る同級生が出てくるんですよね。それが悔しくて。共学に対する憧れみたいなものは常にありましたね。中高6年間野球部で、高校の大会になると、共学には女子マネジャーがいたり、チアリーダーの応援があったりするわけです。忘れもしない高1の秋の大会、相手は慶応義塾で、同じ男子校で仲間だ、なんて思っていたら、慶応女子のチアが駆けつけて応援しているんですよ。うらやましかったですね。

八尾 私も中高野球部でしたが、応援といえばボディーペイントをして、お祭り騒ぎでした。でも、そのノリは嫌いじゃなかったです。6年間で同じ年ごろの女の子と話した時間は、トータルでも10時間ないんじゃないかな。だから、大学に入ったときは、「あれ? 女の子とはどう話せばいいんだっけ?」って感じでしたね。でも、東大はそういう男が多く、浮くことはなかったし、少しずつ勘は取り戻せたかなと思います。

男子校の生活ってどんな感じ?(写真はイメージです)
男子校の生活ってどんな感じ?(写真はイメージです)