子どもに必要なのは「何のために生きるのか?」という哲学

 これまで様々な人に出会ってきましたが、例えば大人でも、自分の職場における“ルール”の中でしか発想できない残念な人もいます。「なんでこんな考え方しかできないんだ、この人は?」と唸ってしまうこともあります。そういう人は、偏差値や点数だけ追い求めてきたあまり、哲学というか、生きるうえで何を大切にするかといったことをあまり考えることなくきてしまったんじゃないかな、と感じます。

 「なんで勉強したいんだろうか」とか、「お父さんやお母さんはこんなふうに働いているけど、僕はどんなふうに働きたいんだろうか」とか、そういう自己決定の選択は、一般の義務教育の中では一切ないんです。「キャリア教育」という言葉は聞くものの、教室で簡単なアンケートを取って、「あなたは算数が得意だから公認会計士がおすすめ」といった、よく分からない内容が多い。自分で意思決定する機会がなかったのに、大学を卒業する直前になって「さあ、あなたのやりたいことを語ってください」と言われても不可能です。

 偏差値が高いから法学部。算数ができないから文系。安定したいから公務員……。リスクを減らしたいのは分かりますが、「じゃあ、あなたは人生で何を成し遂げたいのですか?」ということを考えないと、満足のいく進路の意思決定はできないでしょう。

 哲学とは、改めて時間を設けて考えたりすることではなく、常に考える佇まいのことです。

 例えば子どもと『鶴の恩返し』を読むとします。「これは鶴が自分の正体を知られてしまったから、『もうここにはいられない』と言って鶴が出て行ってしまう話ですよね。じゃあ、人の本性ってどこまで踏み込んでいいんだろうね」「そもそもおじいさんは罠にかかった鶴をなんで助けたんだろう」「鶴の正体を知ってあと、鶴とおじいさんがお互い会話をしていたらどうなっただろう」……、こんなふうに絵本一冊からでも哲学は深められるんです。でも、私の知る限り、学校に哲学はあまりありません。本当はそういうことができる先生が数多くいるべきですが、実態はそうではありません。

 制度の問題でもあるでしょう。そういう骨のある授業をやりながら、部活動の顧問もやり、OECDの中で最も拘束時間が長く、給与も高いわけではない。このように日本の教職員の環境は悪い。子どもの考える力を育てるように教育を変えるには、制度にも変えるべき点があります。

 こういった哲学的なことを学ぶための教育は、やはり親が担うべきだと私は思います。親がしっかりしていないといけない。家庭教育が最強。あらゆる調査結果から考えて、私はそう断言できると思います。