無学年制の算数タブレット教材「RISU」を提供するRISU Japan共同創業者、加藤エルテス聡志さんの連載です。今回は、加藤さんが東京大学時代から親しくしているチームラボ代表の猪子寿之さんを訪ね、対談した様子のリポート第3弾。前回記事「猪子寿之 都会の森で遊び、空間認識力を身に付けて」「猪子寿之 成績は良くないが数学は病的に得意だった」に引き続き、今回は、猪子さんがどんな少年だったかに迫ります。

小学校裏の原生林で瓦を拾ったり、基地を作ったり

日経DUAL編集部(以下、――) 猪子さんはどんな子どもだったのですか?

猪子さん(以下、敬称略) 地元・徳島で通っていた小学校の裏が原生林の山で、そこですごい遊んでた。徳島城跡の瓦を拾いに行ったり、基地を作ったり。あれが今となっては良かったのかなって。

加藤さん(以下、敬称略) 中学、高校では部活とかやってたの?

猪子 部活はやらなかった。スポーツ自体は好きだったんだよ。でも、“軍事訓練に行く”みたいな感じでスポーツするのは嫌だったわけ。日々を“訓練”に捧げるというのは思想上耐え切れなかった。上下関係もばからしいし。走るのとかは速くて運動は超得意だったんだけどね。

 スポーツってさ、絶対的な味方と、絶対的な敵がいて、超限られたルールで、勝ち負けを判定するでしょ。そんな状況って社会にはなくて、唯一あるとしたら戦争状態。だから(スポーツって)擬似戦争だよね。そんなことに自らの時間を捧げるってのは自分にとっては狂気の沙汰だったんだよね(笑)。もちろんスポーツは好きだし、他の人がそれを好きなことに何も思わないし、人間は本質的にそういうことが好きなのかもしれないけれど、それとの戦いが知性の発展だと思ってる。

 実社会で会う相手は、敵でもなければ味方でもない。互いに自由な他者。拘束力も、共通のルールも無い中で、自由な他者と共に何か今作るわけだよね。

加藤 部活をやっていなかったなら、暇なときは何してたの?
 
猪子 暇は、ないよね。学校以外の時間は、何してたかな。チャリに乗って街を探検! 駅前とかさ、別の学校に行ってみたりさ。日々やることに溢れていた(笑)。