昨年、さいたま市初の女性教育長に就任した細田真由美さん。失敗や反省の連続でも、今となっては「両立時代の思い出すべてが宝物」だと笑い飛ばす様子は、温かいハンサムマザーそのもの。英語科の教員から教頭・校長を経て、来春開校する国際バカロレア教育の公立中高一貫校を企画するなど、激務を続けながらの育児は「夫との二人三脚だった」とも。男女2人のお子さんを育てながら教育のキャリア街道を歩んできた今日までの道のりについて、詳しく伺いました。

抱き合ってわんわん泣いた長女の思春期

藤村さん(以下、――) 「働く母」を20年以上続ける中で、良い時も悪い時もあったと思うのですが、ここが一番辛かった、あのときを乗り越えて今がある、と感じるほど記憶に残っている時期はいつごろでしょうか?

細田さん(以下、敬称略) 私は、高校の英語科の教員と教育委員会を行ったり来たりしながら今日までやってきているのですが、仕事は常に忙しくて、子どもたちが小さいころは本当に大変でした。それでも、過ぎてしまうと楽しかったことのほうが思い出として残っているから不思議ですね。当然、大変だったことは沢山ありましたし、娘と抱き合って泣いたこともありましたが、そういうことも含めて「あぁ、楽しかったなぁ」と思い出したりします。

―― 娘さんと抱き合って泣いたというのは、どんな状況だったのでしょうか? その言葉だけでも色々な思いを想像してしまいます。

細田 仕事と育児の両立が肉体的に大変だったり、時間のやりくりが大変だったりするのは乳幼児の時期ですが、私の場合、子育てを振り返って一番辛かったのは、娘が公立中学1年生のときでした。

 娘の同級生に中国系の女の子がいまして、小学校のときは皆で仲良くしていたのに、中学校になったら一部の子たちがその子をいじめるようになってしまったことが発端です。小学校から一緒だった娘が「どうしていじめるのか」と立ちはだかったことを機に、ターゲットが娘に移ったのでしょう。でも、その当時の私はとても忙しくて、そんなことには全く気付いていませんでした。

 中学校1年生が終わった3月下旬、たまたま少し仕事に余裕があったときに、「中学1年生の1年間を振り返って、どんなものだったか教えて」と娘に質問してみたんです。そしたら、急に大粒の涙を流し始めて、「本当に辛かった……」と。私も驚いてしまって、「一体どうしたの。何があったのか、ゆっくり説明して」と返すのがやっとでした。

 娘の話をすべて聞き、「どうしてお母さんに何も話してくれなかったの? 何かやってあげられたかもしれないのに」と言ったら、「お父さんもお母さんも一生懸命お仕事していて、とっても忙しそうだったから、心配かけちゃいけないと思って、自分で頑張ろうと思った」という言葉が返ってきたんです。それで、「ごめんね、ごめんね。お母さん、忙しかったけれど、あなたがいつも元気に学校に通っていたから安心しちゃってたの。気づかなくて本当にごめんね」と言いながら、2人で抱き合って、わんわん泣きましたね。

 でも、その数カ月後、娘がスピーチコンテストに出たいと言ってきたんです。1年生のときに乗り越えたいじめのことを題材にして英語のスピーチをしたいと。私は元々、高校の英語科の教員ですから「娘の様子にも気づけなかった私みたいな母親が力になってあげられるのはここしかない!」と思って、彼女がスピーチを考え、自分のものにしていく姿を見守りました。その英語スピーチで色々な賞をもらったことは、彼女の自信にも繋がったのではないかなと思います。娘はその後、両親と同じ道に進み、今は県立高校で世界史の教員をしています。

さいたま市初の女性教育長に就任した細田真由美さん
さいたま市初の女性教育長に就任した細田真由美さん