マイナーチェンジに苦戦。夫へのSOSはこじれて怒りへ

 新天地で評価されてゆく夫の活躍を素直に喜べなくて、どこか妬ましく感じていたのはこの時期です。これまで男性と張り合った経験はありませんが、結婚と出産を経験して閉鎖的な環境で壁にぶち当たってばかりの私は“とことん不公平だ”と不満が募っていました。夫が毎週金曜日に当然のように飲みに行き、連絡もなしに午前様だったときにはもう…。現在は改善されましたが、道のりは険しかったです(笑)。

 夫が飲み会や出張でいないときに限って40度の発熱や嘔吐をする娘を抱いて、「私が守らなくては!」と眠れぬ夜を過ごしたことが何度かありました。それでも夫が帰宅してから触れる穏やかな娘の寝顔は、長い1日で母親が守り抜いた結果だということはきっと理解されていなかっただろうな…。赤ちゃんや小さい子どもが健康かつ無傷でいることは当たり前のことではない。それは長女が3歳になった今でも思うことです。

 夫を応援する気持ちと、父親として育児・家事参加を求める気持ち、仕事をやめたのに家事・育児に音を上げるのは情けないという気持ち。いろんな気持ちが自分を苦しめていました。子どもをもつまで私は無意識に「家事・育児は外で働くよりも楽だ」と思っていたのかもしれません。だから余計に動揺しました。

 つまりは「手伝って」というより「分かって」ということだったのですが、私はこの「分かって!」という一種のSOSを素直に言葉や態度で伝えられず、こじらせ、怒りという負の感情で夫にぶつけてしまいました。結婚というより、育児は人間の素地があらわになるものですね。  

 共働きになり、次女が生まれ、ある程度の家事・育児を夫婦でシェアできるようになって分かった私の教訓は「素直さは最強の武器」です。ついやりがちですが、感情をぶつけるよりも、タイミングを見て具体的な情報を伝えれば「確かにそれはキツかったね。俺もそれをやるから教えて」となることを、もっと早くに知っていればこんなにこじらせずにすんだのかもしれませんが…。それも含めて家族の黒歴史ということにしておきます。お互いのフィールドでばかり議論をしようとするから平行線だったのかもしれませんね。

 仕事と同じで「ママしかできないこと」がたくさんあると家族全体のリスクになりますが、「パパでもママでもできること」がどんどん増えていけば万が一のときも安心。焦らず1つずつ覚えてもらい、認めて褒める、上手に頼って甘えることも妻には必要な要素なんだということを、不器用な私は夫婦円満なママ友から学びました。今では夫婦一緒に育児・家事レベルを上げるって楽しいことなんだ!と感じています(といっても、いまだに夫婦げんかは勃発します)。

夫が飲み会や出張でいないときに限って40度の発熱や嘔吐をする娘を抱いて、「私が守らなくては!」と眠れぬ夜を過ごしたこともあった
夫が飲み会や出張でいないときに限って40度の発熱や嘔吐をする娘を抱いて、「私が守らなくては!」と眠れぬ夜を過ごしたこともあった