実家の家族や親しい友人たちとの別れ。なかでも、私の財産とも言える仕事を通じて出会った仲間、恩師との別れは喪失感が大きかったです。こうした人脈含め、“自分を生かすフィールド”から去ることはとても心細く切ないものでした。

 そのときの仕事が好きだったこともありますが、“働くこと”は私にとってすごく当たり前のことで、自己実現の手段と考えていたので、“専業主婦・母親・地方”という未知の領域に飛び込むことは、自分をいったんリセットするということでした。

 それでも決意できたのはほかでもない、夫の「一緒に来て支えてほしい」という真っすぐな気持ちでした。夫も新しい仕事に加え、働き盛りだった年上女性の人生を背負うことに相当なプレッシャーがあったと思います。  

 そして2014年の秋。家族と友人にお別れをして、大きなおなかと未消化のモヤモヤを抱えたまま東京から新潟市へ引っ越しました。新潟には夫の実家があり、その後の新生活を心身ともに支えてくれることになります。

大きなおなかと未消化のモヤモヤを抱えたまま東京から新潟市へ引っ越した
大きなおなかと未消化のモヤモヤを抱えたまま東京から新潟市へ引っ越した

 初めての場所で初めての育児をする毎日は予想以上にエネルギーがいることでした。まずはすべてのお母さんが直面するように、産後すぐに始まった育児に大いに感動し、同じくらい動揺しました。そしてそれが24時間毎日となると肉体的にも精神的にも疲労がピークに(“産後の回復”って、身体のことだけじゃないんですね…)。すべてにおいて赤ちゃん最優先の生活になったので、必死すぎて独身時代や仕事を手放したことすら忘れかけていました。

 母として妻として家族中心の生活になりうまく順応できない自分を責めることがよくありましたが、共感や肯定してくれる人が近くにおらず、やりきれない気持ちが募り小さな娘にいら立ったことが何度も…。今思えば自分の感情を無理やり自分で処理しようとせず、とりあえず親兄妹にひたすら聴いてもらうだけでも気持ちが整理できたかもしれないのですが、このときはそんなことすら思いつかず、「妻とか母ってなんだろう? 育児を孤独でつらいと感じる私がおかしいの?」と、たまらず小さな娘と一緒に泣き自分を追い込んでいました。