子どもが生まれるまでは、仕事に目いっぱい没頭できた。産休・育休中は、育児に専念することができた。それが……いざ仕事復帰をすると、仕事と育児の両方が日々降り掛かってくる。時間は同じ、一日24時間。どちらも大事、どちらも最優先。そんなとき、皆さんは何を選び、何を諦めているのでしょうか。

 バリバリでもゆるゆるでもない働き方のワーママに、リアルな体験、心の内を語ってもらいます。今回は拡大版として、全3回に分け、東京から新潟に移住して子育てをする野澤知子さんを取り上げます。

(上)夫の仕事で地方移住、出産「幸せな不自由」を得て
(中)「収入がある=心の安定」に気がついた専業主婦時代
(下)転勤族ママの共働きデビュー「働くこと、もうやめない」 ←今回はココ!

初仕事で撃沈。1000本ノックが糧となる

 フリーランスになって初めての仕事は、元同僚がアシストしてくれた某大手メーカー2社のツイッター公式アカウントのライティングでした。「今日は何の日」のネタ出しと実際の原稿作成をするのですが、フォロワーを増やすためにどんなネタが響くのか探しては書き出し、代理店数社からの容赦ないリクエストとダメ出しを打ち返し、文字数制限とメーカー規定の範囲でネタ原稿をまとめあげるという作業は、それなりにパワーのかかるものでした。

 当然ド素人なので要領も悪く、おまけに長女をまだ保育園に預ける前だったので、通常30分もあればできる仕事が1日以上かかることも。せっかくのママ友からの誘いを断り、長女にはDVDとお菓子で時間稼ぎをして、とにかく急いで仕事をするのですが、長女はすぐに飽きてしまいグズグズ…それに対して私はイライラ。ようやく完成させたものの納得できず、納期は毎回ギリギリ。見かねた夫が休日、作業のために数時間ほど外に出してくれたこともありますが、それでも根本的な問題は解決せず結局、深夜作業で体力を消耗する毎日でした。

 ついに寝込むことになり「娘とろくに向き合わずイライラして、家族の休日まで犠牲にして身体もボロボロ。私は一体何をしてるのか」と、フリーランスワーママデビューをして早々に挫折を味わいます。

 プロジェクトが終了するまでの半年間、なんとかやり切ることができましたが、このような「今がふんばりどき状態」が続くのは家族にとってもいい状態とは言えません。ただ仕事の内容だけで言えば、この“1000本ノック”を経験したことが今のライター業につながっています。

絵:野澤知子
絵:野澤知子

第二子妊娠で自分が働く理由を見直す

 スタートダッシュの1000本ノックで息切れした私はまたもや悶々とします。仕事の内容よりも働き方に向き合っていました。

これが望んでいた“自分らしさ”なのか?
家族をまるで無視した行動になっていないか?
そもそも高望みしているのだろうか?

 夫が経済的に暮らしを支えてくれて、私が家事・育児で暮らしを支えるという役割分担がハッキリしているのなら、働くことに固執しなくても生活できる。それに満足できない自分の“理想”とは一体どんなものなのか。ひたすら自問自答する日々。ノンストップな育児と家事に追われながら、今はまだ無理に共働きを実現するタイミングではないような気がして、ペースダウンの時期を設けることにしました。

 そして2016年、長女が保育園に通い始めて少し経ったころ、第二子を妊娠したことをきっかけに、いったん足を止めて仕事を棚卸しすることにしました。長女の成長をもっとていねいに見届けたくて、仕事の合間にインスタグラムで育児絵日記をつけ始めたのもこのころです。

 やっぱり【育児・家事・仕事】の3本柱が必要で、それが家族みんなの幸せにつながるという原点に立ち戻り、ちょっと大げさですがそのための環境整備が必要だと気がつきます。

 育児・家事では「ママじゃなきゃダメなこと」「妻にしかできないこと」を、できるだけ夫婦でシェアできるように。仕事では、請ける仕事の制限をおおまかに決めて、ときには事情を伝えてお断りする選択肢も持つことにしました。特に妊婦という立場なので身勝手なことはできませんし、オファーする側にも気を使わせてしまうので、今はワーママになるための「助走期間」と捉えることにしたのです。

 こうしたことをなるべく夫に相談してきたのですが、仕事については一人のビジネスパーソンとして自分と違った意見をくれるので新鮮でした。今でも請けようか迷う案件を相談すると、“どうすれば無理なく持ち味を発揮できるか”というポジティブな視点でジャッジしてくれるので頼もしい存在です。

 ただ当時の夫は育児・家事においては、ハードワークなのにさらに家庭にパワーを捻出することは難しい、という反応。「それもそうだ」と頭では理解しつつも、結局のところ私が働くことは「妻のわがまま・自己満足」にしかすぎないのだろうか、という疑念が付きまといます。どこか不公平感を感じながらも、とりあえず「今は助走期間であり妊娠中」ということを自分に言い聞かせて活動はミニマムに過ごしました。