子どもが生まれるまでは、仕事に目いっぱい没頭できた。産休・育休中は、育児に専念することができた。それが……いざ仕事復帰をすると、仕事と育児の両方が日々降り掛かってくる。時間は同じ、一日24時間。どちらも大事、どちらも最優先。そんなとき、皆さんは何を選び、何を諦めているのでしょうか。

 バリバリでもゆるゆるでもない働き方のワーママに、リアルな体験、心の内を語ってもらいます。

 今回、お話を聞いたのは千葉県在住のY・Iさん。Iさんは、結婚を機に中学校教師から翻訳と通訳派遣などを行うエイアンドピープルに転職。2016年11月に出産し、生後5カ月で復帰。管理職として働きながら、仕事と子育ての両立を模索しています。Iさんが感じてきた「もやもや」と「夢」を紹介します。

【今回のワーママ】Y・Iさん

年齢:37歳
業種(職種):日本アイ・ビー・エム(法人営業)→テキサス工科大学大学院留学→中学校教師→エイアンドピープル(管理職)
住まい:千葉県柏市
子どもの年齢:1歳

●仕事と育児をしていくために、私が選んだもの、諦めたもの
選んだもの… 時間が限られていることを理由に、仕事や育児を妥協しないこと。
諦めたもの… 育児以外の家事。特に洗濯物を畳むことや掃除。

帰国子女の経験から、英語教師を目指すように

 中学のとき、父親の仕事の関係でオーストリア・ウィーンに2年半ほど暮らしていました。帰国後、逆カルチャーショックを受けました。当時はまだ帰国子女が少なかったせいか、地元の公立では帰国子女の自分を受け入れてもらえず、いじめもありました。なぜ日本人同士なのに異なるものを排除してしまうのだろうか、それが改まらないと、日本人は海外でコミュニケーションできないのではないか、という問題意識が生まれました。

 大学生になり、アジア各国の法学部生と交流して議論をするというサークルに所属しました。他にも帰国子女がいたので居心地良く感じました。一方、法律に詳しくても英語だから議論ができない、積極的に発言できないという学生がいて、もったいないと思いました。自分が何かできることがないかと考え、英語の教師になりたいと思いました。

 教員免許は取得したのですが、学校以外の世界を知らずにいきなり教員になるのはどうかという思いがありました。就職活動中も悩んでいて、たまたま友人の付き合いで日本アイ・ビー・エムのOB訪問に行ったときに、正直に話をしてみたんです。訪問したのは部長クラスの方ですが、親身になって相談に乗ってくださって…。この会社なら自分も成長できる、しっかり社会人として一人前になってから教員になっても遅くないと考え、日本アイ・ビー・エムに就職しました。

奨学金で日本語を教えながら、アメリカの大学院に留学

 日本アイ・ビー・エムでは3年ほど法人営業で1つの銀行を担当していました。そして、アメリカの大学院に行きながら日本語を教えるというプログラムを知り、留学を決意。一般的に留学はお金がかかってしまうけれど、日本語を教える分、留学費用がほとんど賄え自分の貯金の範囲で行けること、さらに外国語の教授法の理論を学びながら、日本語を教えるという経験が積めるという点も魅力に感じました。

 留学自体は苦労した記憶よりも楽しかった記憶のほうが多いです。大学院では外国語を教えるための理論や実践方法など、言語学を学んでいました。勉強をしながら教えることは体力的にはハードでした。けれど、教えるという自分が好きなことをやっていたのと、社会人になって改めて学ぶことが貴重に感じていたので、充実していました。

なぜ日本人同士なのに異なるものを排除してしまうのだろうか、と感じたのが、今のキャリアの原点
なぜ日本人同士なのに異なるものを排除してしまうのだろうか、と感じたのが、今のキャリアの原点

中学校の教員に。多忙な中、やりがいを感じる毎日

 大学院を卒業する前、インターネットで私立中学校の専任教員を急募しているのを見つけ、帰国後すぐに英語の教員になりました。

 最初の1〜2年は未熟だったので、大変でした。教員の面白さは、自分が頑張れば頑張るほど生徒に伝わるということ。初めは男の子への対応が苦手でした。中学2年生くらいはちょうど反抗期なんです。授業に反発するような子は、そもそも英語が嫌いで苦手な場合が多い。英語に苦手意識を持っている生徒に、どのように勉強を教えたらいいのか、どうやったら得意になっていくのかということに焦点を当て、放課後一緒に補習を行いました。すると、授業への理解も深まり、結果もついてきたので英語が楽しくなり、授業に参加してくれるようになりました。生徒の変化を見ることがやりがいになりました。

 担任を持ちながら、クラブ活動や生徒会の担当もしていたので、忙しかったです。私立は教員がいつ出勤したかなど厳密には管理されていないので、自由は利くのですが、労働環境としては大変。週末に部活で出勤したり、平日の研究日も放課後に生徒会に参加したり、休みがとても少ない月もありました。