ドイツ文学者で早稲田大学名誉教授・子安美知子さんが昨年7月、83歳で亡くなりました。一人娘のフミさん(54)がドイツで通ったシュタイナー学校を日本に紹介し、「モモ」を書いた作家ミヒャエル・エンデとの交流でも知られます。今回は昨年、筆者が美知子さんに最後のインタビューをしたときのお話を中心に、ワーキングマザーの先駆けでもあった人生を振り返ります。

1975年に出版した『ミュンヘンの小学生』が話題に

一人娘をドイツのシュタイナー学校に通わせた経験を基に執筆し、1975年に出版した『ミュンヘンの小学生』はベストセラーに
一人娘をドイツのシュタイナー学校に通わせた経験を基に執筆し、1975年に出版した『ミュンヘンの小学生』はベストセラーに

 オーストリア生まれの思想家、ルドルフ・シュタイナーの考えに基づき7歳からの12年間、一貫して行う「シュタイナー教育」は独特で、教科書や評価がありません。体を動かす、歌う、絵を描く、手仕事をする…。こうした実践が重視されます。来る日も来る日も算数、というように同じ科目を数週間も続けます

 シュタイナーは成長段階を大きく7年ごとに捉えていました。まず、生まれてから7歳ぐらいまでは、自然のものに触れることで、意志や行動力が育つ時期。7歳から14歳までは豊かな感情が育まれる時期で、20歳くらいまでは思考力が伸び、知識を吸収できる時期、というものです。

 20歳前後で「他人の評価で測るのでなく、自分の意志で道を選べる自由な人」として自立するのが目標との考えだそうです。シュタイナー学校は世界に広がり、俳優の斎藤工さんも国内のシュタイナー学校に通った経験を語っています。

 子安さん家族がドイツに留学中、一人娘のフミさんは現地のシュタイナー学校に通いました。その経験を美知子さんは1975年、『ミュンヘンの小学生』(中公新書)に記しました。ユニークな教育法が日本で広く知られるきっかけになった本です。

こやす・みちこ 1933年生まれ。東大大学院比較文学修士課程修了。ミュンヘン大などに留学、早稲田大教授を務めた。専攻はドイツ語とドイツ文学。「ミュンヘンの小学生 娘が学んだシュタイナー学校」はベストセラーになった。2017年7月に逝去。

「新しいまち」に尽力、最後の出版も

 筆者は、早稲田大学の語学研究所で1994年ごろ、美知子さんにドイツ語を教わっていました。記者になるとシュタイナー学校について美知子さんに取材を依頼し、その後、亡くなる直前までメールをやり取りするなど、交流を続けていました。1990年代後半から美知子さんは、シュタイナー学校を含む「あしたの国 モルゲンランド」を千葉に作ろうと奮闘し、「認可を取って学校法人にしたい」と語っていました。当時、国内にシュタイナー学校はあったものの、NPOや個人が運営していたため認可が得られず、そこに通う子どもは不登校とみなされてしまうという課題がありました。

生前、千葉県内で「シュタイナーのまち」作りに奔走した(なかのかおり撮影)
生前、千葉県内で「シュタイナーのまち」作りに奔走した(なかのかおり撮影)