障害ある人の自立と社会参加を助ける「介助犬」の普及に尽くしてきた愛知県の高柳友子さん(51)は、人間の医師でもあります。2人の姉妹を育て、「身体障害者補助犬法」の成立に奔走しました。シリーズの下編では、子育ての工夫や介助犬総合訓練センターの成り立ち、86歳で現役の医師である母との関係を聞きました。

 <上編はこちら> 医師である二児の母 「介助犬を普及させたい」

頼りまくった子育て。無認可保育園、シッター…社会化のススメ

 医師になって救急病院や市民病院で修業を積み、介助犬と動物介在療法に出会った友子さん。博士課程で研究しながら介助犬の情報機関を立ち上げ、「身体障害者補助犬法」の成立に尽力。2人の姉妹を育てる母親でもあります。

 長女が小学生になるまでは、東京都内に住んでいました。愛知県にいる両親は現役の医師で、子育てのヘルプを頼めません。娘たちは、生後2カ月から無認可の保育園に預けました。

 その保育園「安田ベビーホーム」は、いとこの眼科医に「ここはいいから」と勧められ、わざわざホームの近くに引っ越しました。いとこも子育てと仕事の両立に苦労して、「朝の支度は30分のつもりが1時間かかる。近くがいい」と助言されたのです。

 友子さんは園長夫妻と面接をしました。「母親が真剣に仕事していると分かると、入園が許可されます。頑張って仕事しなさいと言ってもらいました」。夜10時まで預かってもらえる日も。いつもは7時までで慌ててお迎えに行ったけれど、この日はまとめて仕事できました。

 園長夫妻に本気で怒られたこともたびたび。次女の妊娠中、切迫早産で1カ月半入院。退院し、会えなかった長女がよそよそしいと嘆くと、園長に「何を言っているの。一番、不安でつらかったのはお姉ちゃんでしょう」と叱られ、長女に思いを寄せました。すると長女もママに頼ってきたのです。

 保育園以外に、人手が必要なときもたくさんありました。「長女は1歳半ぐらいまで、発熱が多くてほとんど保育園に行けませんでした。大事な用事のある日に限って熱を出すし、2週間何もなければ快挙ってぐらい。何のために保育料を払っているのかと思いました」

 園長に紹介されて、シッターの元山さんに出会いました。子ども扱いしない元山さんのことが、娘たちも大好き。小学校に入っても、泊まりの仕事があるときは来てもらいました。「保育園だけではダメ。シッターさん、ファミリーサポート、ママが選んだ信頼できる他人の手も必要です。祖父母に頼るのは最後の最後。親同士が預け合うこともありました」。ふだんからコミュニケーションを取り、いい関係をキープするため、様々な人にお願いしました。シッター・元山さんの都合に合わせて予約を入れる毎日でした。

 「お金はかかるけれど、みんなに育ててもらう、子育ての社会化を選びました。園長先生も、元山さんも、ママはすごいねといつも娘たちに言ってくれました」。仕事している姿は子どもにも分かります。「ごめんね、犠牲にして」ではなく、「ママのお仕事は、こんなに楽しくて素敵なの」と喜んで仕事する姿勢を見せました。

たかやなぎ・ともこ
1966年生まれ。社会福祉法人「日本介助犬協会」専務理事、横浜市総合リハビリテーションセンター非常勤医。もとは内科医で、介助犬の普及に尽くす中でリハビリ医に転向。2女の母。