子育てしながら介助犬の普及活動

 年に1回は、2週間の休みを使って、米国の動物介在療法の関連学会に行き、夢へのモチベーションを保っていました。沖縄の次は、地域密着の舞鶴市民病院に勤めました。

 「熱が出た患者さんが、飼い犬の世話のためいったん自宅に戻りたいと言って、いいですよと許可したことがありました。院内に、動物との関わりに興味のあるスタッフがいて、動物介在活動の団体を立ち上げました」

 博士課程に進むのに研究テーマを探し、「犬は汚いと言われるのはなぜ?」「動物を大事にしながら付き合おう」という観点から、「人畜共通感染症」を専門にすることに。「東京医科歯科大の藤田紘一郎先生と出会い、28歳の時ときに上京しました。夫も東京に職場を見つけ、一緒に移り住みました」

 大学院で研究しつつ外来で診察し、介助犬の普及活動を始めます。1997年には米国から、介助犬と暮らすスーザンさんを呼んで講演会を開きました。「自分も介助犬を持ちたい」「トレーナーになりたい」という声が寄せられ、介助犬の情報機関を始めました。

 翌年、32歳のときに長女を出産。大学院は育休を取っていたものの、情報機関の事務作業は1人でやっていました。パソコンに向かい、2時間おきに授乳。千葉の病院まで週に1回通い、動物介在療法のボランティアもしていました。

 そのころ国会で、介助犬の法制化について質問がありました。高柳さんの活動が新聞で紹介されると、問い合わせがあり、国の科研費を得て介助犬について研究することになりました。「産後、復帰できるの? 医師より子育てのほうが大変」と思っていたものの、死に物狂いで大きなチャンスに取り組みました。5年かけ、各分野の専門家や当事者、介助犬トレーナーらと共に報告をまとめました。

 「身体障害者補助犬議連が結成され、元首相の橋本龍太郎さんの後押しもありました。私たちの報告書をもとに、2002年、身体障害者補助犬法ができました」。公共機関や病院などで補助犬(介助犬、盲導犬、聴導犬)の受け入れを拒んではならないとされ、育成者や使用者の義務についても盛り込まれました。

 障害者の自立と社会参加を促すもので、障害者の差別を禁止する初めての法律。成立は、画期的なできごとです。2000年には2歳違いで次女を出産。周りの人たちの協力で、博士号も取得し、目まぐるしい日々でした。

 後編では、訓練センターを作るチャレンジや母との関係、子離れについてのお話を紹介します。