美容ジャーナリストとして活躍していた40代のときに乳がんが分かり、手術や抗がん剤治療を体験した山崎多賀子さん(57)。当時、抗がん剤で髪が抜けたスキンヘッドを披露、趣味のバレーボールに仕事に駆け回りました。山崎さんは患者のために、元気の出るおしゃれやメイク法を提案。今も伝え続けています。今回は「がん患者のキレイ」を発信するきっかけを紹介します。

10年ぶりの婦人科検診で乳がんが見つかる

 山崎さんは美容ジャーナリストとして活躍していた44歳のとき、10年ぶりに受けた婦人科の女性検診をきっかけに乳がんが見つかりました。

 「乳房の全摘になる、再建手術もできると説明されても、自分の話だと思えません。夫に電話すると『早く分かってよかった。人はみんな、致死率100%なんだし』と冷静な答えが返ってきて、その言葉にずっと励まされましたね

 情報を集め、セカンドオピニオンを取って手術を決定。手掛けていた仕事の引き継ぎや前倒しをお願いしました。医師に乳がん体験者を紹介され、傷口を見せてもらいました。

 「病気をオープンにしていたので、早い段階で経験者に会えました。病気の知識もなく、病院で何を聞いていいかも分からない。体験者にじかに話を聞き、自分の将来が想像できました」。さらに入院に備えて、行きつけのヘアサロンでおしゃれにカット。美容が専門の山崎さんらしい前向きな行動です。

やまざき・たかこ 1960年生まれ。会社員、編集者を経て美容ジャーナリストに。乳がんの体験を女性誌に書き、『「キレイに治す乳がん」宣言!』(光文社)にまとめた。現在は抗がん剤の副作用で外見が変わる患者にメイクセミナーや講演をするなど、支援活動に飛び回る。

「ベリーショートにして、かわいい帽子を用意しよう」

スキンヘッドにメイクでキレイを心がけた(山崎さん提供)
スキンヘッドにメイクでキレイを心がけた(山崎さん提供)

 乳房の全摘と再建の手術をして退院。寝込むことはなく、翌日から仕事の撮影でスタジオに通いました。撮影最終日は明け方までかかりました。「集中力がなくなってきて、ひやっとするミスもありましたが、やり遂げられた自分の体力に感謝しました」

 その後、病理検査の結果を聞き、再発防止のためにホルモン療法と抗がん剤を勧められたときが衝撃でした。「抗がん剤は副作用もきついし体を痛めるなんて嫌、と抵抗があったからです。1週間、考えてもまとまりません。知人の医師に再発リスクを計算してもらうと、思っていた以上に高い数字。ついに抗がん剤治療を決意しました。やると決めたら、ぴたっと涙が止まりました」