出産後、事務職に回され大学に戻ることを決意

 「4、5人しかいない小さな会社で、1人1人の負荷がとても大きかったので、産休で同僚に迷惑をかけているという責任感から早々に復帰したのですが、子どもが風邪をよく引いて仕事に支障が出たこともあり、結局、担当をすべて外され、事務職に就かざるを得なくなってしまいました。それが自分としては不本意で、『別の仕事がしたい』と考えるようになりました。

 ちょうどそのころ、一緒に仕事をしていた東京大学医学部の先生が中心となって、公衆衛生分野の大学院ができることを知りました。仕事柄、臨床試験などに携わることが多くなり、理学でなく医学の勉強をしたいと思っていたことと、『小さい子どもがいる間は、学生のほうが無理がないのでは?』と言っていただいたことも相まって、思い切って受験してみることにしました。試験まで2、3カ月しかなかったのですが、大急ぎで願書を出し、仕事と育児をしながら猛勉強し、何とか合格。2007年4月に東京大学大学院医学系研究科に新規に設立された公衆衛生大学院に1期生で入ることになりました」

2人目出産後も奈良に長距離通勤、夫が家出

 大学院で医療コミュニケーション学について研究する傍ら、研究室の准教授が運営していた医療政策を立案・実施するNPOのスタッフとして仕事も再スタートさせました。

 「そのNPOは、子育て中であることを配慮してくれ、仕事がしやすい環境だったのですが、途中である出来事が起こり、状況が大きく変わりました。奈良で妊婦さんが救急車で24時間たらい回しされた挙句に亡くなったというニュースが大きく報じられたんです。当時、奈良県は医療の充実度を測る医療ランキングで最下位だったこともあり、私の勤めていたNPOが、奈良県の医療政策部の救急医療とがん医療の改革を担当することに。自宅があった横浜市と奈良を、週4日往復する生活が始まりました」

 その後、第二子を妊娠。大きいおなかで奈良へ通う生活を続けていたところ、このままでは切迫流産になるとドクターストップをかけられたこともあったそう。そこで、奈良に行く頻度を減らしながらも仕事を継続し、2009年9月に第二子となる長男を出産しました。

 「第二子出産後も奈良に通う生活を続けていたら、だんだん夫との仲がおかしくなってきて…。翌年、夫が家を出ていってしまいました。シングルマザーになった後は、実家から母に来てもらうなどして仕事を何とか続けていたのですが、さすがに限界を感じ、NPOを辞めることを決意しました」