起業するまでの経緯や仕事と家庭の両立についてなど、多くの壁を乗り越えてきたママ社長やママ起業家をご紹介する「私が壁を乗り越えたとき」。第18回は、安定した企業で共働きをしていたママが、離婚を経てシングルマザーになったことを機に、自らの経験を基に社会に貢献したいと事業を立ち上げたストーリー。

離婚しても両親が子育てに関わる「共同養育」を支援する一般社団法人「りむすび」を立ち上げたしばはし聡子さん(45)をご紹介します。「上編」「下編」の2本立てでお伝えします。

<しばはし聡子さんの起業ストーリー>
(上)シングルマザーが一念発起 安定振り切り起業へ ←今回はココ
(下)中学受験機に元夫との関係を修復、事業に邁進

少数派の時代にワーママに

 慶応義塾大学卒業後、エネルギー関連の会社に新卒で入り、安定した会社員生活をスタートさせた、しばはし聡子さん。2004年の30歳のときに男児を出産し、育休を経て職場復帰しました。産前産後のサポートも今ほど充実しておらず、ワーママへの理解も乏しい頃でした。

『出産しても共働きを続けるなんて、収入面で大変なのね』という目で見られることもある時代でした」と、しばはしさんは当時の息苦しさを吐露します。それでもワーママの道を選んだのは、夫の後押しがあったからだそう。

 「夫に『社会に出ていた方が、視野が狭くならなくていい。両方に逃げ場があった方がいいだろう。それにこんなに安定していて居心地もいい職場を辞めるなんてもったいない』と言われていて、その通りだなと」

自らの離婚経験を機に、「共同養育」を支援する一般社団法人を立ち上げたしばはし聡子さん
自らの離婚経験を機に、「共同養育」を支援する一般社団法人を立ち上げたしばはし聡子さん

 しかし、当時は、周りにワーママのロールモデルもおらず、迷う日々。子どもを優先したいという気持ちとキャリアを向上させていきたいという気持ちがせめぎ合っていたといいます。

 「その頃は広報部にいたのですが、出張したり、イベントを企画したりと仕事が楽しくて、もっとキャリアを積みたいと思うようになっていたんです。その半面、子どもが熱を出したときに『あー、仕事どうしよう』と、まず子どもの体を心配してあげられない自分もいて、葛藤に何度も押しつぶされそうになりました

秘書の仕事に悶々としていた時に訪れた離婚

 「入社当時は就職氷河期で、就職活動がうまくいかず、父親の勤め先の関連の会社に何とか入れてもらったという感じでした。ただ、とても安定していたし、働きやすく恵まれていました」

 しかし、やりたいことをやってバリバリ働く学生時代の友人たちが輝いている姿をみては、物足りなさい気持ちがぬぐえなかったそう。「『いつか一花咲かせたい』という気持ちはありました」

 「思い描いていたキャリアとの相違を感じつつも、転職は考えていませんでした。夫からは『こんなに安定して働きやすい会社は他にないよ。今さら他の会社に行ったら大変な思いをするよ』と言われ続け、私もそう思っていたためです。だから、仕事以外で何か社会的な活動や熱中できることを探したい、見つけたいといつも考えていました」

 司会の勉強をしてみたり、ベリーダンスやゴスペルに励んでみたり、常にアンテナを張って、プラスになる「何か」を積極的に探していたというしばはしさん。でも、「本当にやりたい」ことが見つからない。広報部から異動し役員秘書をしながら、「このまま一生終わりたくない」と思っていたとき、人生の大きな転機が訪れます。自身の「離婚」でした。