こうあるべきといった、これまでの父親像に縛られることなく、それぞれの家族にとって最適なカタチを模索しつつ、妻と共に自分らしく育児を楽しんでいる。そんなパパたちに、子育て中のパパライターがインタビューするこの連載。自身が追い求める理想の父親像とともに、育児や家族への考え方、仕事観などについてお話をお聞きします。

 第4回は、大阪市内の公立中学校教諭のよしもとあきふみさん。昨年4月から、大阪市内では前例のない男性教諭による1年間の育児休業を取得。その経験をブログ「男性の育児休業を第二子で!」にてつづっています。1年の育児休業を終え、今年4月から職場に復帰したよしもとさんの勤務する中学校に伺い、お話を聞きました。

自身の経験が育休取得につながった

── まずは、よしもとさんのご家族についてお教えください。

よしもとさん(以下、敬称略) 現在、僕は34歳です。2012年に結婚して、妻は現在26歳。第一子の長男は結婚した翌年に生まれて、現在、4歳。幼稚園に通う年中です。今回、育休を取得することになった下の女の子は、現在、1歳半になって、4月から保育園に通っています。

 妻は結婚する前は女性専用の痩身エステ大手で働いていて、エステの技能五輪で関西代表に選ばれるなど、手に職がありました。結婚を機に退社しましたが、僕が育休を取得することになったので、その間にベビーマッサージの資格を取得。エステとベビーマッサージができるということで、最近は「親子マッサージ」ということでイベントに呼ばれたり、専門学校の先生などもしたりしています。

 僕が育休を取得することで妻に時間ができたので、その間にキャリアアップすることで仕事を再開したという形になりますね。僕の育休が終わったので、今は共働きです。

── ご自身の持っている父親像はどういったものでしたか?

よしもと 僕の父親は、県庁で働く公務員でした。2代続けて公務員ということになりますね(笑)。父親はその当時、選挙管理委員会の仕事をしていたので、かなり忙しく、夜中まで帰ってこない。僕は長男で、弟とは2歳差です。弟が生まれたとき、父親はほとんど育児も家事も手伝わないし、母親は弟の面倒を見るだけでもいっぱいいっぱい。そこで、2歳だった僕は、母方の実家に半年間くらい預けられることになったんです。

 今から30年以上も前の話ですから、今のように保育所なども多くなかったですし、イクメンなんて言葉もありません。育児は妻に任せて仕事に頑張るというのが当たり前の時代ですから、無理もないですよね。父親は孫ができてから「自分の子どものときはできなかったから、面倒見られるときは見るよ」と言ってくれています。

 父は、僕が子どもだったときは、育児に関しては本当に何もしていなかったようです。1回もオムツを替えたことがなかったと言っていました。その証拠に、孫の面倒を見ることになったとき、「オムツの替え方を教えてくれ」と言っていました(笑)。

 両親にはとても感謝していますし、ずっと関係は良好なのですが、思春期のころ、関係がうまくいかない時期がありました。それは今振り返ると、2歳のときに両親にあまりかまってもらえず、寂しい思いをしたからなのではないかと思います。

 祖父母に預けられていたときの長男である自分はかわいそうだったのかも、と。そういった自分の体験から、長男のことを気にするようになっていって、それが、育休取得につながっていったという感じですね。

よしもとあきふみさん

大阪市内の公立中学校教師。担当教科は国語で、放課後はバスケットボール部で熱心に指導している。2016年3月、第二子が生まれるのをきっかけに、前例のない1年間の育児休業を取得することを決意。2017年3月までの1年間の育児休業を終え、4月より仕事に復帰。自身の育児休業中の経験などをつづるとともに、第二子での男性の育児休業を勧めるブログ「男の育児休業は第二子で!」(https://ameblo.jp/asahi-iroha/)を現在も更新。ママのための情報サイト「スマイルママ」にて、自身のブログと同タイトルで連載記事も執筆した。(http://smilemama.jp/?p=8896)