高校時代の「使い手たち」は今も、コンピュータを自在に操っている

──中学・高校の頃はパソコンでどんなことをしていましたか?

落合 中学の頃は、富士通の「FMV」を使っていました。Windows 98のときも富士通のノートパソコンを使っていましたね。まだ実家の押入れに入ってますよ。

 ホームページをいじる以外は、デジカメで写真を撮ってパソコンで見たり、音楽を聞いたりと、いまとあまり変わらないですね。いわゆる「雑多なパソコンライフ」ですよね。

 高校のときはクラスのみんなで、DTPソフト(DTPは「デスクトップパブリッシング」の略で、雑誌の誌面レイアウトなどをパソコン上で制作すること。アプリケーションではAdobeの「InDesign」「Illustrator」などが有名)をよく使っていました。開成は文化祭や運動会で配布するチラシや分厚い冊子をクラスごとに作るんです。DTPソフトで冊子の誌面やTシャツをデザインしたりしました。運動会のときに自陣に掲げる4m×3mくらいの「アーチ」っていうすごく大きな絵があるんですけど、これなんか下絵の段階から色塗りを意識して、レイヤー駆使して作ってて。…って、いまの仕事とあまり変わらないな。完全に“業者”ですね(笑)。

 あとは音楽も好きで、DTM(「デスクトップミュージック」の略で、パソコンと電子楽器などを接続して音楽を演奏したり、制作したりすること。アプリケーションでは米アビッド・テクノロジー社の「Pro Tools(プロツールス)」などが有名)をやっていました。ドラムスやベースなどのリズムトラックを打ち込んで演奏させて、自分が弾くギターをかぶせたりしていました。

──そこまでパソコンに詳しい同級生って多かったですか?

 それほどでもないです。当時パソコンを使いこなしていたのは、クラスで2人くらい。ひと学年で20人くらいでしょうかね。彼らはみんな、今でも相当な「使い手」たちですよ。

プログラミングや論文、プレゼンなど、仕事をするときはパソコン

──ではいよいよ、大学時代です。

落合  大学では本格的に研究を始めたので、いまと同じ使い方です。コンピュータの研究者ですから当然、仕事にパソコンは欠かせません。

 大学院のときから、学会の発表で海外に行くことが増えたんですけど、これが大変で。発表のときに使う資料は飛行機のなかで作ってたんですけど、当時のノートパソコンってバッテリーの持ちがあまりよくなかったから。2時間半とかですよ? それで国際線に乗るときに4台、機内に持ち込んだこともあるくらい。もちろん、入国手続のときには「なんで4台も持っているんだ?」って突っ込まれました(笑)。

 一方でプライベートではスマホやタブレットを使うことが増えて、ぼくにとっては「パソコンを持っているとき=仕事をしているとき」かな。ぼくはプログラマーなので、プログラムを書くときや論文を書くとき、プレゼンをするときは必ずパソコンを使う。プログラムを書くならパソコンの方が断然いいし、プレゼンはデータが重いのでパソコンじゃないと動きませんから。