自分の働き方に悩んだ日々



林田 少し話は変わりますが、高橋家自体は家事育児などをどのように回しているのですか?

奈緒子 洗濯したり、掃除したり、朝、子どもを起こしてご飯を食べさせたりというのは夫も普通にやってくれています。表面的な家事は2人でやることが多いですが、計画したり、調整したりという見えない部分は私が担っていることがほとんどです。

林田 結婚当初から、家の中のことを夫婦で分担するのが当たり前だったんですか?

利明 正直、最初はあまり家事はできませんでした。結婚してから子どもができるまでがわりと長かったので、2人でやっているうちにだんだんできるようになりましたね。最初は目玉焼きも焦がしてしまったり、チャーハンを作ってもご飯が全部フライパンにこびりついていて食べられなかったり、そんなこともありました。

林田 お子さんが生まれた後はどうでしたか?

奈緒子 夫はケアワーカーという仕事柄、子どもの世話に対してほとんど抵抗がありませんでした。それだけではなく、気持ちのサポートもすごく上手ですね。私は産後、精神的にかなりつらい時期があったんです。特に、東日本大震災の直後だったので、世の中的にも不安感が強くて、私だけではなく、みんな子育てについて心配なことだらけでした。でも、夫は全く動じずにサポートしてくれました。

林田 情緒的な部分での支えがしっかりしていたということですね。

利明 僕は40代なんですが、僕自身の父親は平日仕事で週末は家族と過ごす、当時としては典型的なライフスタイルでした。ただ、僕は子どもの頃ずっと野球をやっていたんですが、必ず両親が夫婦そろって毎週、試合の応援に来てくれました。平日に試合があるときには、休みを取って応援しに来てくれるような父親だったんです。

 僕自身も子どもが生まれて子育てをするうちに、自分の働き方についてなんだかモヤモヤし始めて。僕の仕事は土日が休みではないので、今の働き方を続けたら、自分の父親がしてくれたように子どもの野球の応援には行けないなあとか、すごく悩みました。

林田 そうですか。つらい時期でしたね。そのまま、仕事は変わらずに続けたんですか?

利明 辞めずに続けました。長男が生まれたときにFJに入って、様々なパパたちの話を聞くうちに、自分の父親からの影響は受けるけれど、自分は自分のスタイルでいいんだということが分かって、少し気持ちが楽になりました。そのうち、妻から「もっと外に出たほうがいいよ」とアドバイスを受けて、それから色々なパパたちと話すようになって。今では、子どもたちに仕事も家族も地域活動も楽しんでいる背中を見せられれば、土日が仕事でも、毎週末一緒にいられなくても、それが自分らしい父親像だと考えるようになりました。今思えば、何を悩んでいたのかなという感じです。