流産をきっかけに初めて知った妻の気持ち

 2度目の転院は、僕が偶然あるパーティーに出席したことがきっかけでした。実は、僕は知り合いに誘われるまま、何のパーティーなのかもよく知らずに行ったんです。出席してみたら、それは不妊治療のクリニックの院長先生が主催するパーティーだった。

 その知り合いは不妊治療をしていて、僕も心が治療していることを話したことがあり、前にも「自分たちが通っているクリニックはいいよ」と声をかけてくれていました。でも、僕は「うん、そのうちにね」とずっと流していたんです。それで、僕にはあえて詳しいことは話さずに、パーティーに誘ってくれたようです。

 院長先生は大の格闘技好きで、すぐに打ち解けることができました。僕が何気なく「なかなか子どもができないんですよね」と話すと、院長先生は驚いたようでしたが、すぐに「僕のところに来なさい。なんとかしてあげるから」と言ってくれました。

 心には、家に帰ってその日のうちに「行ってみない?」と話をしました。心もそのクリニックの名前は聞いたことがあったみたいで、すぐに転院することになりました。けれど、そうなってもまだ、僕はそれほど真剣に子どもが欲しいとは思っていませんでした

 その気持ちが変わったのは、2度目の転院後に心が流産したときです。

 以前に、赤ちゃんが育っていなくて、包んでいる袋(胎嚢)だけが残っている「枯死卵」ということがあったので、心は受精卵がおなかに着床したことをとても喜んでいました。僕も、心がずっと努力していることは知っていたから、良かったと思っていました。

 その日は、車でクリニックに送って行って、診察の間、僕は車で待っていました。このクリニックに転院してからは、できるだけ付き添うようにしていましたが、不妊治療クリニックとか産婦人科とかは、独特の雰囲気があって、正直、中には入りたくなかったんです。

 診察が終わって戻ってきた心に「どうだった?」と尋ねると、答えがありませんでした。しばらくすると、半分泣きながら、「心臓、止まってた……」と言いました。「どういうこと?」「何それ?」僕は事情が分からずまた尋ねましたが、無言の時間が流れていきました。

 僕は心を神宮外苑のいちょう並木が見えるカフェにそのまま連れていき、ただ2人で静かに過ごしました。もう、声のかけようがなかった。「大丈夫だよ」なんて、軽々しく言えない。だって、大丈夫じゃないんだから。結局、時間が解決するほかなくて、僕はそばにいてあげることしかできない。

 そのとき、僕は「子どもはもういいんじゃないか」と思いました。心がこんなに傷ついているなら、かわいそうだと思ったんです。子どもがいなくたって、僕と心の2人で生きていけばいい。子どもはもう諦めよう。しばらくたってから、心にそういう話をしました。

 ところが、心は意外なことを言ったんです。「私は、あなたの遺伝子を残したい。だから、子どもを諦めることはできない。授かるためだったら、どんな治療でもする」と。

 僕の本名は小林というのですが、心はその小林家の歴史のことまで話し始めて、「おじいさんやお父さん、お母さんから引き継がれてきた遺伝子を、自分も残したい」と言いました。

 今まで不妊治療をしてきた間、心からそんなことを聞いたことがなかったから、ビックリしました。僕は、一度もそんな風に考えたことはなかったし、心がそんな気持ちで治療をしていたなんて、思いもよらないことでした。

 それからです。僕が「自分も本格的に協力しよう」「ちゃんとサポートしよう」と思うようになったのは。心の覚悟を知って、僕も本気で取り組まなければと思いました。

 幸いなことに子どもに恵まれた今、「もしかしたら、あれが、僕たちが子どもを授かるための大きなターニングポイントだったのかもしれないな」と感じています。

(構成/荒木晶子 撮影/川田雅宏 企画/後藤美葉)

魔裟斗
格闘家、俳優、タレント、スポーツキャスター。
1979年生まれ。
日本人初のK-1世界王者として知られ、2009年引退後は多方面で活躍中。
K-1 WORLD MAX 2003 2008 世界王者。
生涯戦績は63戦55勝(25KO)6敗2分。