振り返れば、これが私たちのベストなタイミングだった

 今になって思うのは、“授かり時”ってあるんだなぁということです。

 私と夫が結婚したとき、まだ夫は現役で活躍する格闘家でした。体も心も試合に向けて調整していくことが一番大切で、試合前にはわずかな物音も立てられないほど、ピリピリしていました。

 「お風呂に入っているときなら聞こえないだろう」と思って浴室で鼻歌を歌っていたら、「うるさい!」と叱られたこともありました。本当に神経が研ぎ澄まされているんだなぁと思ったものです。

 でも、それが夫の仕事。そして、夫のコンディションを常に良い状態にするのが、家庭での私の仕事でした。

 夫の健康状態を考えた食事、コンディションを整えるための環境作り。もともと中途半端にできない私は、自分の仕事もしながら、夫のこともおろそかにはできなかったので、私自身も全然余裕がありませんでした。

 だから、もし夫が現役のころに赤ちゃんを授かっていたとしたら、本当に大変だっただろうなと思います。

 夫中心のスケジュールの中に自分のスケジュールを入れて、そこに赤ちゃんが加わる。ましてや、赤ちゃんはこちらのスケジュール通りに動いてくれるわけではありませんから、私はパンクしていたかもしれません。

 私には、不妊治療、妊娠、出産を経験して、気付いたことがあります。それは、すべてを自分一人でやる必要はないんだということ。

 私は小さなころから、「しっかりしているけど、逆にそこが心配」と親戚にも言われていました。でも、何でも自分でやろうとすることが、決していいことばかりではなくて、かえって迷惑をかけることもあると、この経験で知りました。

 自分を大切にして、誰かに甘えられるときは素直に甘える。その分、自分ができるときには誰かの役に立てるようにする。大げさだけど、人間ってそうやって生きているんだなということが、ようやく実感として分かったのです。

 それが、赤ちゃんが生まれる前で本当に良かったなと思います。私が一人で頑張り過ぎて困るのは、そばにいる家族だから。

 夫にしてみても、当時はいつも試合のことを考えていましたから、そこに赤ちゃんが入る隙間はなかったんじゃないかと思います。

 待望の赤ちゃんが生まれた後、私はまた1カ月間寝て過ごさせてもらいました。その間、義母や実母が交代で来てくれましたが、一番活躍してくれたのは夫でした。赤ちゃんのオムツを替えたり、お風呂に入れたりと、小さくて首が据わらないぐにゃぐにゃの赤ちゃんを夫は一生懸命お世話してくれて、夜も一緒に寝てくれました。

 そんなことも、夫が引退した後に授かったからこそできたこと。もし現役中だったら、赤ちゃんと触れ合う時間なんてなくて、いつの間にか大きくなっていたような感じだったかもしれない。赤ちゃんも、なかなかパパに懐かなかったかもしれない。

 そう考えると、不妊治療をした4年間は、とてつもなく長い時間だったような気がするけれど、私たち夫婦にとっては必要な時間だったんだと思います。そして、きっと人それぞれに“授かり時”はあるんじゃないかなと思うのです。

 私にとって、そんな紆余曲折を経て授かった娘。産後、赤ちゃんと同室で過ごした数日間は、本当に幸せな、宝物のような時間でした。

――次回は語り手を魔裟斗さんにバトンタッチ。夫から見た不妊治療の経験を語ります。

(構成/荒木晶子 撮影/鈴木愛子 企画/後藤美葉)

矢沢心 矢沢心
女優・タレント
1981年東京生まれ。1997年デビュー。
夫である魔裟斗さんは、日本人初のK-1世界王者として知られる。著書に『ベビ待ちゴコロの支え方』(主婦の友社)など。
日々の暮らしをつづったオフィシャルブログも人気。
「コロコロこころ」https://ameblo.jp/yazawa-shin/