また5年経って、10周年を迎えるころには…

 今、仕事と子育ての両立に悩む男性たちが立っているのはそんな場所ではないかと思う。日経DUALが5年間で絶大な支持を得るようになったのは、働く女性のニーズをつかんだだけでなく、夫婦が情報をシェアし、実は同じ問題で悩んでいることに気付くきっかけを与えてくれたからだ。それまで語る場がなかった男性たちに、悩む仲間がいることを知らせ、語り方を示してくれた功績は大きい。そして女性も、近くにいながら気付かなかったのだ。男たちがとても不安がっていることに。

 先述のように、私は創刊時に連載を始めた時点で、慣れ親しんだ共働きから片働きという未知の領域へ踏み出していた。そんな生活も早5年。「学校を卒業したら一生働いて家族を養うのが当たり前」というこれまでの男の人生がいかに無茶振りであったかを痛感している。24時間働けますか? なんて言われて、よく黙って耐えていたなと思う。私は自分で選んだことだけど、あらかじめこれしか生きる道が用意されていなかったら、人生とは? なんて考えても苦しくなるだけだったかもしれない。社畜上等!なんて自分に言い聞かせるのは、もうみんなでやめにしようや、と心から言いたい。

 このごろは不思議なくらい、「実は私も大黒柱」と告げてくれる女性が多い。昨日もそんな人に出会った。まだこっそり打ち明ける人が多いのは、これまであまり大きな声では言えなかったのだ。旦那が甲斐性なしとかヒモとか言われるから。

 だがそれも変わってきた。知人の30代の男性は「専業主夫に憧れる」と言っている。実際にやるかどうかは別としても、若い人が奇をてらうわけでもなくそう言えるのは、女性がそうであるように男性もまたいろんな生き方をしたい人がいるのが当たり前になりつつあることの表れだろう。まだ少数とはいえ家族を一人で養うことが可能な女性が増えてきたことは確かだし、これまで「格下婚・格差婚」と言われていた、女性のほうが稼いでいるカップルも今では珍しくない。

 これからまた5年経って日経DUALが10周年を迎えるころには、どんな風景が見えているのだろう。今は働いていても、5年後には休職したり会社を辞めたりしている人もいるだろう。子どもが増えている人も、違うパートナーと読んでいる人もいるかもしれない。働き方も家族も変化する。生きていることは、変わってしまうこと。それを恐れなくてもいいように、私たちには仲間が必要なのだ。遠くでゆるくつながる同志たちが。

 一人称で語られる誰かの物語に耳を傾けるとき、私たちは赦されている。「あなたも語っていいのだよ。人はみな、等価で無二の存在なのだから」と。ちょっと大げさなようだけど、今必要なのは、そんな傾聴と赦しのコミュニティーではないかと思う。これからも一層キレキレの企画を繰り出しながら、日経DUALにはそんな場でもあってほしいと願う。おめでとう5周年! さらなるご発展を。