小さな会社で初の女性役員になったという人と話す機会があった。「シングルマザーみたいなんです」と彼女は言う。「男役と女役、両方求められて本当に大変!」と。男性役員と同等の働きを求められると同時に「女性ならでは」とか「女房役」、果ては「母親役」まで求められるという。つまり彼女に与えられたのは役員ではなく「女性役員」というロールなのだ。

 知人のシングルマザーはこう言っていた。「一人で母親と父親の両方をしなくてはならない。そんなの至難の業。なのに完璧にママをやっていないと責められる。世間は頑張るシングルマザーの美談を求めるんです」。

私個人の意見にしか過ぎませんから!

 それは誰のための女らしさなんだろう。

 私もよく言われる。「ママ目線でお答えください」「主婦としての意見を」「女性としてどう思いますか」。いやどれをやってみたところで、私個人の意見に過ぎないよ! 頼むからその、女性の発言者は母性とか寛容さを示してくれるはずだとか、一人の女の意見がすべての女性の視点を代弁しているという思い込みをやめてくれえ。

先日、仕事で京都に行ったついでに高台寺の夜間拝観へ。池に映る樹々が幻想的でした。高台寺は、秀吉の妻・北政所が亡き夫のために建てたお寺。夫婦の木像が置かれた霊廟には、人格者として知られた北政所が埋葬されています。二人は当時は珍しい恋愛結婚だったんですね。
先日、仕事で京都に行ったついでに高台寺の夜間拝観へ。池に映る樹々が幻想的でした。高台寺は、秀吉の妻・北政所が亡き夫のために建てたお寺。夫婦の木像が置かれた霊廟には、人格者として知られた北政所が埋葬されています。二人は当時は珍しい恋愛結婚だったんですね。