親の本音を子どもは敏感に感じ取る

 加害者の親たちは、せっかく東大に入った我が子が、聞いたこともない大学のしつけの悪い女子大生にはめられて犯罪者扱いされるなんてと憤慨します。その言動からは学歴主義に加えて、階層差別と女性蔑視がうかがえます。社会的に成功した女たちが抱きがちな「自分はそこらの頭の悪い女とは違う」という自負が、息子を育てる時にどのように作用するのかを考える上でも実に興味深いです。

 以前、「道でゴミを集めている人を見かけるたびに、息子に『勉強しないとああなっちゃうよ』と教えている」と誇らしげに言った人がいました。ゴミを集める人がいなかったら自分たちの暮らしがどうなるかは、子どもに教えないのでしょうか。彼女は大手企業に勤める夫と同様、息子もぜひとも東大に入れなくてはと思っているようでした。

 教育熱心な親ほど、学歴や職業が人としての値打ちを表すというメッセージを無意識のうちに子どもに与えがちです。そうとはっきり言わなくても、日常会話のちょっとした仕草や表情で、子どもは敏感に感じ取るもの

 自分に寄ってくる女はみんな学歴狙いの下心があると考える学生の家庭では、そう考えるに至るような日常会話があったはずです。大抵の女は高学歴の男を狙ってるんだから、つまらない女に騙されないように、と親が言ったのかもしれない。言わないまでも、どこそこの大学の子は……と眉をひそめたり軽蔑したように笑うだけでも“教育効果”は十分です。

 当たり前だけど、酔っ払っていようと、偏差値が30も違おうと、相手に何をしてもいいわけじゃない。そんなこともわからないとは、何のための“優秀な”脳みそなのでしょう。

 それとまったく同質のものは、今年4月の財務事務次官によるセクハラ事件の根底にも感じられます。学歴と肩書きを極めた自分にはみんなが群がってきて当然で、そんな連中は同じ人間ではないのだから何をしてもいいのだという幼稚な思い込みが、あの録音データの醜態には現れていました。そしてそれにNOを突きつけた女性が、世間から叩かれたのです。

 最高学府の学生やエリート官僚が起こした不祥事は自分とは関係ないと思いがちですが、二つの事件に共通する学歴主義と女性蔑視は、日本社会の根深い問題でもあります。加害者の差別感情に通じるような偏見が、自分の中にもあるかもしれません。

 教育にある程度のお金をかけられる人は、俯瞰で見ればいわゆる格差社会の勝ち組。そこでの常識や“普通”は、もしかしたら偏っているのかもしれません。似たような環境で育った、選ばれた人たちと仕事をするうちに、これこそが世間の多数派の意見であると思い込んでしまう。私も年齢を重ねれば重ねるほど、自分がいかに世間知らずであるかを痛感しています。

 私たちは親として、子どもに「世の中ってこんなところだよ」と教えなくてはならないですが、それは決して世の中の全てではないという注釈を常に加える必要があります。自分の置かれた環境を相対化する視点がなければ、知識は他者を知るためにではなく、排除するために使われかねません。