今、いわゆるブラック部活が問題視され、持続可能な部活の在り方が議論されている。少数ながら、ゆるく楽しく続けられる部活に切り替える学校も出てきた。それでも、挫折を知って強くなるには厳しい部活が必要だという保護者の声が絶えない。内申に影響するので手を抜くなと先生たちにもプレッシャーをかける。

 危険であることが指摘されても、運動会の組体操で巨大ピラミッドをやらせる学校がなくならない。違和感を訴える声があっても、二分の一成人式は定着しつつある。どちらも、集団で事を成し遂げる尊さとか、親への感謝を知るための教育だという大義名分のもとに、子どもに大人を感動させる役割を強いている。これだってつながっているのだ、日大や財務省に。

地獄行き列車から飛び降り原野を駆けゆく脚力を

 考え過ぎだとあなたは笑うだろうか。私は全然笑えない。組織に組み入れられた人は、組織とその組織の存続を望む人々に奉仕させられる。子どもたちはうんと小さいときから、実によく訓練されているのだ。

 あなたはどうだっただろうか。教室で発言するのは目立ちたがり屋がすることで、人と違う意見を言うのは大人気ないと思い込んでこなかったか。目上の人に逆らうのは子どもじみているし、理屈に合わない物事にも何らかの正当性を見いだすのが知的な態度だと信じてこなかっただろうか。

 日大アメフト部では、選手の父母たちが声を上げた。選手たちもまた、大人たちの支援を受けて声明を出した。怪我をした選手と関西学院大学チームおよび関係者に謝罪し、自分たちが監督やコーチに盲目的に従い、思考停止に陥っていたため、追い詰められたチームメイトを助けることができなかったことを悔いる内容だった。彼らはこの先、仕事でまた同じようなことに直面するだろう。この経験が、その時の彼らの行動を変える契機になることを強く願う。

 若者がこんな風に追い詰められるのを、大人はただ見ているわけにはいかない。私たちにもできることがある。事件が起きてしまう前に、あなたの子どもが犠牲になる前に、「こんなのおかしくないですか」と言うことだ。それがどうしても難しいなら、環境を変える。つまり、捨てるのだ。非人間的な組織は持続不可能であるという実例を増やせばいい。

 理不尽なルールに黙って耐えることや、大人の都合のいいように振る舞うことは子どもの務めではない。特等席に揺られていくドナドナ人生のチケットよりも、地獄行きの列車から飛び降りて原野を駆けゆく脚力を。人が本当に鍛えるべきはどんな力か、親も一度足を止めて考えるときが来たのだと思う